わたしという生き方を模索するブログ from毒親育ち

寄生母とモラハラ父の共依存家庭に生まれたわたしの場合

どれだけ関わってもひとはみんな一人ぼっち

今日はニート支援所(ただしくは“自立支援センター”な、)の工房でクッキーを焼いた。

支援員の工房担当の男性はわたしより4つ下で、ちょっと情けない。いや、だめ、自分を卑下しないっていったじゃん、そういうとこだぞ!!(・ัω・ั)

 

私にはまだ愛着障害の名残りがあって、彼が作業しながら話しかけてくるので、なんか、聞かれるままなんでも話してしまって、『なんで今わたしは年下のスポーツマンにこんなことまで話しているんだ…』と冷静になる一面や、マスクの下で作り笑顔をした顔面が引き攣って、なぜかめっちゃ腹が立ってきて真顔になるなどの一幕などもあったが、

まんまるのクッキー型を抜きながら話した、青年とのやりとりがすごく心に残って、考えさせられた。

 

「…そういう、心の内を話せる人はいますか?」

「まえは、カウンセラーの女の人がいました。でも、なんかダメなんです。何が分かるの!?って思っちゃったんです。先生がよくしてくれたことは分かるんですけど。今はまず、自分との付き合い方なんです。自分を責めてばかりいたんです、わたし」

 

なぜかワイのTwitterで培ったAC雑学にスイッチが入ってしまい、

幼いころの抑圧ガー、脳の回路ガー、投影ガーと喋りまくってしまい、ただすこやかに生きている彼(すべてオートでできている)をぶっちぎりに置き去りにしてしまった。反省してる。

 

まあ、このへんは経験なので、何回かこなせば、いまの意識のわたしは、初対面の人との距離のとり方もその内うまくなるんじゃないかと思う。

 

 

でも、帰ってきてから、これまでの愛着障害の感じが、すこしよくなってることに気がついた。彼に「分かってもらわなくてもいいや」と思えたのだ。ちがう人間だし、当然だと。

 

どんなに関わっても、みんな、一人ぼっちなんだなと思った。それを受け入れつつある気がする。昔から、人との人のあいだ、どうしても埋められない隙間、距離感や境界線を思うと、切なくて哀しくて、いてもたっても居られない気持ちになった。離人症てきに、わたしには体の感覚がなかった。

 

いま、ほんのちょっとなんだけど、わたしには体の感覚がある。わたしは、「生まれてしまった」。個体として、この世界に。母から切り離されて、個として存在してしまった。もう、同じ存在には戻れない。それを、もう体でわかっている。生まれてから、30年近くわからなかったのだけど。

 

どんなに関わっても、みんな一人。一人ぼっち。わたしは一人で生きてかなきゃならない。その覚悟をきめた時、人との境界線や距離感は、切ないものではなくて、なぜか、やすらかなものになる。わたしはわたしでいい、人と違っていいのだと、個を守られるような気持ちになる。

 

 

 

 

いやだからね、「大人の私」を認識できないんすけどォ

なんかあの、銀魂のテンションみたいなタイトルになっちゃったけど。

 

先日、支援員さんに「わたしアダルトチルドレンなんです、」という話をした時、支援員さんはすこし身をかがめ、両腕で自分を抱きしめるようにして、「大人になった自分がね、こどもの自分を、ギュッてしてあげるの」って言っていた。すこし涙声だった。自分のチャイルドを抱きしめているのだ、とわかった。

 

(いや、あの、ちょっと自分の世界に入ってるところ悪いけど、手っ取り早く、わたしを抱きしめてくれねーかな?金なら払うからさ…)とわたしはひそかに思っていた。 

 

よくACの本には、「大人になったいまのあなたが、こどもの時の自分を抱きしめてあげましょう」とか書いてある。

でもさ、わたしなんか、育ってないんだよ。

自己認識がチャイルドのまんまで、「大人である自分」自体を認識できないんだが。

当たり前だよね、家族から、精神的に離れられてもいないんだから。なんなら、今日やっとこの原家族の風景を、外から見られるようになったぐらいだもん。

 

「大人である自分がチャイルドを抱きしめてあげる」ようになれるには、

①周囲にまともで、こころの健康な、見本となる大人がいなかったことをはっきり自覚する

②そのグループから抜けて、ある程度健全な人たちのいる場所に身を置く

③その人たちといることで、社会性を育み、大人である自分をつくる

 

ていうステップを踏んではじめて、「大人になった自分が〜」てなると思うんだけど。

わたしは重度ってことだよね?

心まで、魂まで、染まってるってことだよね?

 

重度でも、死ぬまで気づかない人だっている。

その場合、自分や他人を責めたり、いじめたりして死んでいくんだと思う。

その前に、違和感や生きづらさが働いてくれて、体が動かないっていうサインをくれて、やっとわたしは気づくことができた。

心や魂を食い尽くされても、体だけはギリギリ生き残ってくれたんだと思う😢寝たきりになったけどな😔

 

話がそれたけど、3つのステップを踏んでやっと、「本格的な自分癒し」が始まるのならば、わたしはまだそのスタートにすら立っておらず、自分癒しのポーズを一生懸命やっていたということ???

んきゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜🤯(発狂)

 

いやでも、わたしの体はすでに大人なんだと思う。だって、ガキに酷いこと言われたりしても、ムカッとするけど言い返したりしないもん。昔は「言い返せばよかった!ああ言えばよかった!こてんぱんにしてやりたい!」って後悔していたけど、体と繋がり始めると、これ、「言えなかった」んじゃなくて、「言わなかった」んだということがわかる。

 

わたしの情緒はガキだったから、言い返せなかったことに悔しがってたけど、この時よりすこーしだけ大人になったいま、久々に祖母に「こ●すぞ」って言ってしまったとき、すごく落ち込んだ。やり返してもなんの意味もない。焼け野原がひろがるだけだった。わたしはそのときガンジーの目になりました。

 

だからこれからの目標は、大人になること。正確には、大人であるわたしを認識すること。つまるところ、現実を生きること。

 

働こう。外でて、働こう。ブログももっと書こ。ヨガもしたいしギターも弾きたい。もっとブイブイ生活したい。体さんの調子と相談しながら少しずつだけどね☺️😊

 

死にたくていい。

引きこもり生活、1年と7ヶ月。初めのころは、家にいるのが苦痛で苦痛で、いてもたってもいられなかった。

いまは思うのだけど、わたしは生まれてから29年間、多分、力を抜いたことがなかった。

 

「力を抜く」というのは、頑張ってないことになり、それは家のルール、母の中では、だめなことだった。母は生まれてからたぶん一度も力を抜いたことがない。母はいつも、頭と首の血管をぎゅうぎゅうにつまらせ、自分を追い立て追い詰めて生きてきた。それだけならまだしも、子供のことも追い立て追い詰め続けていた。無意識に。

 

母はメンヘラだ。自分のことを自分ひとりで支えることができない。そして、永遠に自分から逃げている。彼女は、自分のことをメンヘラとも思っていない。ほんもののメンヘラは病識すらない。

 

 

ものごころついたときから、わたしは、“存在で拭われた”という感じがずっとしていた。

私という、生まれたばかりの、まっ白で清潔な布で、母は、赤黒く汚れた両手をぬぐった。罪悪感を。恥辱を。後ろめたさを。そしてすべてをわたしになすりつけて、自分は平然と生きている。

 

母が自分で向き合えなかった病んでいるところ、すべてわたしにしわ寄せがきた。思春期に、わたしが「死にたい、精神科に行く」といったところ、彼女は「やめてよ」といった。

そして3週間後ようやく精神科に着いて来てくれたかと思ったら、隣にいるわたしをおいて、男性の先生に、「私も辛いんです〜」と媚を売っていた。まるで父親に甘えている少女のようだった。事実、彼女は軽度の精神遅滞が見られる。指摘すると発狂するけれど。

 

なんでこんなおかしい女のことを、今まで守ろうとしてきたのだろう。わたしはもうボロボロだし、死ぬ直前ってかんじだ。自律神経も逝ってる。彼女を可哀想だと思ってきた。でも、それは自分を投影してきただけで、この女はずっと自分のことしか考えていない白痴だった。

 

一言でいうと、ほんと虚しい。わたしの人生、いったいなんだったんだろうな。砂をかむような、ってこれのことか。わたしはもう、横になって寝ていることしかできなくて、いまはそれが精一杯だ。

 

ぼうっとしていると、「悔しい」「死にたい」と思って泣けてくる。ほんとに何にもなかった。どんな幸せも、どんな喜びも、わたしのそばをスーッと通り抜けていくばかりで、いつも腹の中には、意識されることのないこの虚しさや絶望感だけがあった。

 

もうだめ、ずっとさこれを、この虚しさを隠したまま生きてきた。でも、死にたいもんは死にたい。死なせろ。くそが。

「えっ?聞こえない。生きててよ、わたしのために…泣」

母のやり方はずっとこんな感じ。同情を誘うやり口。うるせーお前が死ね。お前が死ねばよかったのに。

 

誰にも許可されなかった「死にたい」を、わたしだけは許す。死んでいいよ、行動しなければ。「死にたいと心底思うことを許可する」。死にたいといってるわたしをただ肯定してだきしめる、みたいなこと。死にたいと思うことすら許されなかった家庭だったのだ。ほぼ北●鮮じゃねーかくそが。

 

 

感情を表現すること

海で寝ていた。ニートです。

ピクニックシートの上に寝転がって日傘を差していたら、散歩をしているおじいちゃんがじわじわと近よってきた。

(話しかけんなよ…絶対話しかけんなよ…私はいま、話したくないのです…プライベートなんで。一旦事務所通してくれる?)などと思っていたら、「絵描いてんの?」と話しかけてきた。

 

「はぁ?」わたしは寝転がったまま、でかい声を出した。

それは、思わずじぶんの腹から出た正直な声と態度だった。

「違いますけど……」起きて、座る。

「………………………エヘッ(´∇`;)」媚びた笑顔。

沈黙。

じいさんは二言三言何か言って通り過ぎていき、いい子の仮面をつけたわたしだけが取り残された。

 

次の日もまたじいさんに会って、じいさんは帰るところ、わたしはこれからって時だったんだけど、「これからまた寝るの? 邪魔者はおらんからな〜〜」って言われた。うははwwwじじい、さてはお前、塩対応されたことを根に持ってんなwww

その時も、いい子↔腹のわたしがすごく葛藤してて、

いい子「邪(魔じゃないです)……エヘヘ、」

媚顔からスッと真顔に戻る

腹 「あーーーい!!!了解でぃ〜〜す!!!バイバーーーイ!!」

 

おれはもう自由だ!!これでいいんだよ。

書いてて、まぁちょっとじじい可哀想かなって思ったけど。

わたしは『話しかけられたくなかった』の。わたしはそう感じていたの。それを守ってほしかった(自分に)。そうだ、べつに、いい子でなくてもよくね?あとは、「アッこいつだめや…」って引き下がるのか、境界わかんなくて話してくるのかは相手の問題だよな。。

 

でも、嫌だったら、イヤですってことをできる限り表現してもいいんだ!表情なり態度なりで。そうだよ。わたしは今まで、あまりにも頑丈ないい子の仮面をピッタリくっつけて、その下で、「最悪〜〜最低〜〜ふつう察してくれるでしょ?なんで分かってくれないの〜?」って相手を罵っていた。それが、世界に対して母親を求めるってことだ。いついかなる時も、ニコニコして、ハイハイって従ってくれる相手を求めるということ。

 

相手は、他人なんだ。機嫌のいい時も悪い時もあるし、嫌なことも好きなことも全然わたしと違うかもしれない、他人なんだ。

わたしは機嫌が悪い時もいい時もあるし、それをべつに外に出しても構わないし、嫌なことはイヤって言ってもいいんだ!ちがうことはちがうって言っていいんだ。そっか。これ、テレビ版エヴァ最終回でシンジくんがたどり着いたやつに近いのかもしれない。

 

まえに女性の美容師さんと話ししていて、「一時期湯シャンをしてた」っつったらドンッッッッッッ引きされたことある。そんな引く?ねえ。わたしの存在自体がだめなの?死のうかな。と思ってめちゃくちゃ傷ついた笑

わたしはいつも思うのだけれど、AC(アダルトチルドレン)じゃない人って、思いがすぐ表情に出るよね。なんのためらいもなく。あれって、“いついかなる時も、完全に自分の味方”感があって、本当にわたしはそれが暴力的に羨ましい。「世界はいつも安全に保たれていて、じぶんが素を出しても、それが損なわれることはない」っていう、親からもらった安心感が無意識の中に入っているんだよ。だからあんなに堂々と感情を出すことができるんだよ。

ACはちがうからね。ACは、いい子じゃないと、親に従わないと生きてこれなかった人たちだから。いのち(生存権)を人質に、いい子であることを強制されてきたから。だからかな。わたしはできるだけ人の顔を見たくない。人の生の表情を見ると、とくにマイナスの感情を表現されると、傷つく。傷つくってゆーか、痛い。胸がギュッてなる。それは、もしかしたら、「私」が傷ついているのではなくて、本来は自由に怒ったり泣いたり、ドン引きしたり軽蔑したり、表現することを禁止されてきた感情が、出してよって言ってるのかもしれない。出られなくて苦しい、ああいう風に、わたしも、なんの罪悪感もなく、嫌悪感を顔に出したい。外に表現したい。感情がせき止められて、苦しい。っていう、じぶんの体からのサインなんだと思う。

 

 

 

依存と支配、被害者と加害者。

突然ですが、わたしの女性性は、

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「寂しいと泣いている小さな少女」と、

 

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イラスト:まふさん

「怒りに満ちた鬼女」に分かれている。

 

これまでの私は、小さな少女の自分しか認識していなかった。 

不安で怖くて、一人では生きていけなくて、恋人を父親がわりにしていて、でも無意識には実の父親への嫌悪がある。だから、父親代わりである恋人にもちゃんと心を開くことができない。いつも、何していても寂しい。「もう、一体どうしたいの?」って感じだよね。実際そう言われたし、私にももう何がなんだかよく分からなかった。っていうお話を昔書いていたのでヒマな方はどうぞ

それで、いつも、傷を引き受けるのはこの少女の役割だった。

 

少女の面が強調されるとき、私はいつも受け身な被害者になる。「わたしは何もしてないのに…」「☓☓にこんなにひどいことされた、どうしてなん?」弱々しく、憐れっぽく、世界に対して、共感してくれる母親だけを求めている。

それでも私を置き去りにして世界は勝手に動いていく。私の意志なんか、どこにも反映されない。というか、意志なんて最初から持ってなかった。やりたいことなんてさせてもらえなかったのだ。無気力になって当然かもしれない。

少女は、「死にたい」が口癖で、でもわたしはこの子の母親になる!と決めたから、死にたいから逃げないようにしたい。『おぅおぅ、死にたいね。そやね』ってつかず離れず、受け止めてみたい。わたしにもダメージがあるから、なかなかしんどいねんけど。

 

 

つぎは、怒りに満ちた鬼女について。

2月、目の前で両親が喧嘩を始めた。私は自然と母の味方をした。(それは、母を庇いたいわけじゃなく、自分の女性性があまりにも傷ついていることに反応したのだ)

その時父から、「お前には関係ないやろ!」と言われた。ショックすぎて死ぬかと思った。それは私の、この家でのアイデンティティの剥奪に近かった。

 

でも、そんなアイデンティティ、マジでいらねー。そうだ、本来、親のことなんか子どもには関係ないのだ。私が入り込みすぎているのだ。つーか引きずり込まれてきたと言ってもいい。親代わり、親子の立場の逆転。子どもの時はそうしないと生きていけないと思い込んでいたから、必死に仲裁をしていた。それを、今になって「お前には関係ない」と言うのは、「お前はいらない」と同じだった。

 

久しぶりに怒りで発狂して、その場で雄叫びをあげてしまった。(私けっこう元気だよねwww)その時、「これッッだけにしてやってきたのに!!!」というワードが思い浮かんだ。私の中に、『親のために人生を捧げてきた自分(自己犠牲)』、『親を自分の子どものように面倒みていた自分』がいて、その私が、「自分がいなくても親はなんやかんやで喧嘩しながらも仲良くやっていく」ということを認められないのだった。だって、ずっと親のためだけに生きてきて、自分のために生きるってことが分からなかったから。

これじゃ、どっちが毒親なのかよくわからない。

 

こんな風に、「一人じゃ生きてけない〜」と依存心のある少女の私と、「これだけしてやってるんだから私を認めろ!!!」と支配することで見返りを求める私、『わたし』が二つに分裂していて、でもそれは根っこは同じもので、“精神的な親”なるものに、受け止めてほしいし、認めてほしかったんだ、自分を。

 

一つ前の記事に書いたけど、この鬼女である私の中には、自分じゃどうしようもない、怒りを通り越した憎しみや恨みや敵意が溜め込まれていて、それをどうやって扱っていいのかまだ探り探りの状態だ。少女の「死にたい」はこれまで、逃げながらもずいぶん感じていたけど、鬼女の「みんな●してやる!!!」の破壊的パワーは正直、ふれるのが怖い。笑

 

でも、『自立した女性』というのは、完全にこの二人が仲良く手を繋いで調和した状態を指すんじゃないかなと思うの。わし、自立したいい女になりたいんやマジで。バイト探さなきゃ。

だから、今まで、少女で受け身の自分を自分と思っていたけれど、わたしは自分の、怒りに満ちた嫌な女、クソ鬼女の部分を意識して、認めていきたい。わかってあげたい。笑ってほしいな。そしてかっこいい大人の女になりたいと思う。本当に。

 

  

憎しみに塗れた自分を受け止める #1

(1)

twitterで、「怒ってる人がこわい」「怒るのが苦手」「怒れない」とよくTLに流れてくる。私もそのひとりだ。どうしてみんな、こんなに怒りの感情を抑圧しているのか? それは、日本ではあまりにも集団であること、集団のための個人みたいになってて、個としてのその人のあり方みたいのが無視されてきたからだと思う。

 

わたしたちは早ければ3歳で幼稚園にブチ込まれて、そこでもう徹底的に、嫌というほど、「みんなと仲良くしましょう」とか、「人に迷惑かけちゃいけない」とか、足並み合わせるための団体行動を刷り込まれるけど、それは、言ったら、「個を殺すこと」だ。そこに抵抗や違和感を持つことのできる自分の体に正直な人は、学校行きたくなくなるよね。

 

「学校に行きたくない」って感覚は、個としては正しいものなんだと、いまなら、私は14歳の自分に言ってあげたい。学校なんて全然大事じゃないと。それよりも、これから、(仮に80歳まで生きるとしたら、)あと66年も続く人生の方がずっっっっっと大事でしょと。

残念ながら世間体を気にする家族(=世間という集団に命を捧げることを洗脳された人たち)に精神的にボッコボコにされてまた無理やり学校に行くことになりその後16年がすべて地獄になった私が通りまーす♡

 

日本では、子どもに怒りを抑圧させることで、コントロールしやすくして飼いならしてきた。(うちはそれがめちゃくちゃ極端だった。怒りを持つこと自体を禁止され、それを出すと必ず罰を受けた。まるでこっちが親みたいに、母と父の心をまるごと肯定して受け止めてやらなければならなかった)だからもう、社会全体がそうなってる。みんな、腹の底に怒りをもっていて、ちょっと肩がぶつかったとか、そういう些細なことでブチギレてしまう。(まあおれの話な)

 

(2)

私は、ACを自覚する前、ずっと自分の腹の底に、怒りでいっぱいいっぱいになった、大きな水風船のようなものを感じていて、例えば電車の中とか、人が多く集まるところで他人にちょっと何か尖ったもので刺激されようものなら、そのぎゅうぎゅうに膨れ上がった水風船が割れそうになってしまって、でも水風船の割れてしまった自分は私の預かり知らない自分なのですごく怖くて、(何せ自分の怒りを扱うという経験を奪われたまま生きてきたのだ)もうどうなってしまうか、人を■してしまうんじゃないか、犯罪者になってしまうんじゃないかと恐れた。でも、それを止めていたのは「家族に迷惑がかかるから(やめよう)」という思考だ。もう、どれだけ家族が怖かったんだろう。18年もの間、あの地獄の上で、これが普通だと思いながら、どんどん無意識に怒りを溜めて、意識上では平気な顔して暮らしていた。

 

今考えたら、それは、「怒り」なんてとうに通り越したもの、憎しみだった。殺意ですらあった。それは、とても日常生活で処理しきれるようなものじゃなくて、私がこの家族のなかで生きるために必死で蓋をして、無意識の底に押しやったものであり、私が自分自身にすら隠していた気持ちだった。

 

加藤諦三botが「自己主張は怒りの洗練されたものです」っていってた。たとえば、外に私を怒らせる要因になるものがあったとして、無意識に怒りを溜めていない人の場合、怒りの反応(イラッッ)が10%だったら、「ちょっとちょっと!それはちがうんでないの!」って交渉することができる。でも、無意識が憎しみで溢れかえっている人の場合、イラッッが100000%にもなる。

そんなになってくると、人って、その場で発狂することすらできない。感じるのが辛いから抑圧していて、ス〜ッっと何事もなかったような涼しい顔して、3日後、マジで来る。体力ない人の筋肉痛と一緒だ。憎しみが大きすぎて反応することすらできない。怒りを自覚したころにはすでに色々終わっている。それから自分を責める。「あの時ああ言えばよかった」でもね、それは、怒りに気づく機会を奪われてきたことと、無意識に膨大な憎しみがあるからだよ。自分を責めるのは筋違いだと思う。

 

 (3)

わかりやすく子どもを虐待する親って、例えばご飯を食べさせないとか、暴力を振るうとか、暴言を吐くとか、そんな人は、ある意味で、無意識と意識が一貫してて、気持ちと行動も一致してる。無意識で子どもを憎み、意識でも子どもを嫌っている。

もし、そういうわかりやすく一貫した親に育てられたら、子どもは、「ああ、うちの親ってクソだな」って早めに意識することができる気がする。

そしたら、早めに自立のチャンスがある。などと私は思っているが、たとえ親の意識と無意識が一貫してても、子どもの無意識の中に憎しみが入るならば、その後の後遺症(社会に溶け込めない、絶望的な無気力、ひどい鬱など)が辛いのは一緒だな。ごめんなさい。

 

私が言いたいのは、意識では子どもを愛していると思っているが、無意識では子どもを憎み、虐待しているパターンの親は本当に最悪&最悪だと言うことです。

親に依存してて、親の無意識を捉えられないまま、(実は嫌われ虐待されているか、利用することしか考えてない)一生、無意識にパツンパツンの憎しみを溜め続け、他人にも憎しみを抱き、人を愛することもできず、触れるものみんな傷つけてしまう。

本人は、依存してるから、自分を虐待する親とだけはベッタリと仲がよく、ほかの人とは打ち解けられない。または、親と築いた主従関係をそのまま他人と繰り返し、支配し支配され、奪い合い、傷つけ合う関係しか築けない。

もしくは、なんとなく自分の無意識がわかっていると、「いつも人と主従関係しか築けないことに自分で気づいており、それが苦しいと感じているんだけど、どうしていいかわからないから人を避ける、深く関わることを避ける」等。。

 

 

 

 

聖母巡礼の旅が終わる時

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ゆうぎおうカードかよwwww

ババアって何なのだろう。わたしは最近よく考える。前回の記事にも同じことを書いたけど、

2chのオカルト板に、『人間の起源は、知的生命体が地球にやってきて、当時この星の中で一番進んでた動物(猿)に、自分たちのDNAを掛け合わせて人間を誕生させたのが最初』と書かれてあった。
 

動物としての自分をブロックした、いい子ちゃんの母に育てられた私は、当然のようにいい子ちゃんを引き継いですくすくと育った。自分の荒々しい部分、動物的な部分を否定して、のっぺりした平面的な優等生をやり、先生受けだけは抜群にいい、おとなしい妖精のような子供に育った。でも、どんどん無意識に憎しみが溜まっていって、成人する頃には二面性の激しい、生きづらくて仕方のない人間になっていた。

 

高校生のとき、遊園地でバイトしてて、そこの食堂に、女子プロレスラーのような、超強そうな体格の、野生みのあるババアが働いていた。カウンターに近よると、「ハイ、ねえちゃん、注文は〜?」とデスボイスで聞かれる。反射的に、(ひっ…取って食われる…)と思った。彼女がふぅ〜〜っと息を吹きかけると、私は飛ばされるんじゃないかと思った。

 

失礼な言い方なのかもしれないけど、私はこのようなワイルドな動物感のつよいババアのことを、メスゴリラ感と呼称する。そうとしか言えない。この、全身から溢れ出ている、エネルギーのようなもの。。

 

私はこのメスゴリラのババアのことを、内心バカにしていた。それまでずっと、知的生命体としてのエネルギーの使い方しか知らなかったのだ。いつも、ひたすら頭を使って考える。他人をジャッジし、こうあるべき、こうするべき、こうせねば。道徳。モラル。妄想。

「行動する」も、「感じる」も、「コミュニケーション」も、「愛する」も、本当はみんな、動物のエネルギーなのに。

 

 

成人した私は無意識に、聖母巡礼の旅をはじめた。自分の理想のお母ちゃんを探し求める旅だ。パートのおばちゃん、占い師、カウンセラー、整体の先生。
スピリチュアルなことが好きだったから、そういう人の元に数えきれないぐらいセッションを受けに行った。

生きるのが辛いとかそんな相談内容より何よりも、私は「無条件に受け入れてくれる母親」を求めていたのだ。今思えば。
めちゃくちゃ優しくて、聖母で、何もかも受け入れてくれる母を探していたけど、そんな人いるわけがなくて、いつもちょっと傷ついて帰ってきた。

 

女性なのに角刈りの、しかもそれが全然変じゃない、どっしりとした森三中の大島さんのような、整体のババアに懐いていたことがある。

「バイト先で、私を嫌ってくる人に超腹がたつんです!!」

思えば私は、幼児性をむき出しにしていたと思う。それはつらいね〜、かわいそうね〜と言ってよしよしされたかった。

「ハ?どうして?」そんなことで腹がたつ意味がわからない、ほっときゃいいじゃん、というような顔。

「どうしてって …相手が私を認めてくれないから?」

角刈りの大島さんは、ほんとうに下らないね、という風に鼻で笑ってから、「早くそのぬるま湯のお風呂から上がれたらいいね」と言った。達観したような、突き放すような、慈愛に満ちたような目だった。

 

 

最近では、LiLiCo似の、酒焼けした声のスナックのママのところに行っていた。この人とは、月1で行っていたスピリチュアルのカウンセラーのワークショップで出会った。

LiLiCoさんは「昼間なら家に来ていいよ」と言ってくれて、1度行ったけど、私が話を聞いてほしいのに、延々と自分が青春時代にヤンキーだったときの抗争の話をしてくるので、疲れてもう行かないことに決めた。

 

でもこの時、この人はボランティアで、善意で、わざわざ私のために時間を裂いてくれて、DQNだけどいい人だなぁと思った。

この人のおかげで私は、自分が、「タダで、延々と私の話を聞いてくれる人」を求めていたのだとはっきりと自覚した。その役目を果たしてくれるのは、母親以外、この世界にいないことも。そして、それだったら今のカウンセラーの先生でいいじゃんとも思い直した。(先生に不満があったのだった)

 

ずっと、『白い割烹着をきた、太ったババアに抱きしめられたい』という謎の願望があった。そういう怪しい店とかないかと本気で思っていた。わたしは、動物的な母の愛がほしかった。「お母さんはあなたが何よりも大切」だとかそういう、自己犠牲と見返りに塗れた言葉なんかよりもずっと。

 

わたしが求めていた母親は、この世界のどこにも存在しない。もしおカーチャンがほしいのであれば、自分がなるしかない。
わたしは、実母を諦めて、しっかり母に、っていうかババアになろうと覚悟を決めたのだった。