動物としてのしあわせ
(5/1に書いていたもの)
昨日、満月だった。眠くて眠くて、1日何もできなかった。ずっと寝ていた。
まえは、「調子が悪くて寝ている」ということがデフォルトで、一週間そのままなんてこともあって、布団を干して部屋の掃除をするなんてことも一苦労だった。
そんな状態に比べて、今回の「ずっと眠くて何もできない」は、ずいぶんと余裕があるように思える。毎日の日課の、「海で夕日を眺める」だけはできたし。
調子が悪くて寝ているのが常だったとき、いつも頭が邪魔をしていた。寝ていても、「こんなんじゃだめだ」「私はクズだ」「早くバイト探さないと」「親になんか言われる」と、ずっと怯えて、緊張していた。そんな頭の声を打ち消したくてネット漬けになっていた。
体の「休む」という選択を、尊重できていなかったのだ。わたしは精神で生きてるわけじゃなく、肉体で生きているのに。世界で一番大事な体を、わたししか大事にしてやれない体を、わたしは今までずっと、虐めてきたんだなあと思った。かなしい。
体と頭の関係性は、親と子どもが最初だろうな。親が子どもの欲求を無視して自分の意見を押し付けると、子どもは自分の身体の欲求を無視する子どもになる。そして、その子どもが親になって…っていう連鎖。
家に帰ってきてから、何度、『先祖全員fuck you!』って思っただろう。でもこれは、戦争後遺症なのだそうだ。ACのカウンセラーさんが言っていた。「自分の欲求を無視して、国全体のために尽くす」という生き方が、巡り巡って、いま、ACやメンヘラを生む元になっているんだと。だから海外に逃げる人が多いんだなと思ったりする。
ここしばらく、完全に寝ることに集中してた。頭がなにを言っても、まわりがなんて言っても、おれは!絶対に!寝ることを!やめない!と、強い意志で、休むことに集中した。というと変な力が入りそうだけど、ようは、自分の体がその時一番したいことに耳を傾け、それを実行した。
「○○しなきゃ」と考えながら横になってる時、時間が一番もったいない。実際はできもしないし、そうかといって、そこにピントを合わせると体が休むことに集中できないから。ずっと、エネルギー(気力)が漏電状態。そういう時は、みんな放り投げる。完全に手放す。知〜〜らね、ポーーーイ!と遠くへ飛ばす。
今日は1日、動物みたいに昏々と眠って、ごそごそと夜中に起きだして、妙にお腹が減っていたので、誰もいない台所に降りていって、カップラーメンを食べた。たまに無性に食べたくなるこの塩分と脂肪分過多な、ジャンキーな味。濃いとんこつしょうゆ味。ああ、なんというしあわせ。
わたしは、はたから見れば、恋人に振られて1年4ヶ月も引きこもりニートで、もう29歳で、人生が終わっているように見えるだろうし、一体何が楽しくて生きているのか、母や祖母にはまったくわからないのだろうが、いま、この瞬間、わたしは心から満ちていて、ただ幸せだった。
2chのオカルト板に、人間の起源は、知的生命体が地球にやってきて、当時この星の中で一番進んでた動物(猿)に、自分たちのDNAを掛け合わせて人間を作ったのが最初だと書かれてあった。
ダーウィンの進化論を全無視してるこの説が、わたしは妙に好きだ。
わたしは、頭だけの、いい子ちゃんでやってきた母に育てられて、精神だけで生きてきた。ずっとじぶんの肉体を、感情を無視してきた。それで、動物としての幸せが無視されることになった。
動物としての幸せって何なのだろう。
それは、体に、余分な緊張がなくて、リラックスしている状態。快。肌の感覚。その瞬間を、生きていること。
5月の、ふうわりとしたなまやさしい風の中で、土の匂いを嗅ぎながら、新緑のなかを歩く。とか。日の光に葉っぱが透けていて、ちらちらと差すまぶしいあの光。
もしくは真夏に、クーラーの効いた部屋で、肌に触れるタオルケットのさらさら。
晴れた日曜の朝、大通り沿いのカフェでモーニングを食べながらオレンジジュースを飲んでる時。
夏、温泉の帰り、夕暮れの中を歩いていると、自分の体温と外の気温が混じって、世界と一体になったような、すごく酔っ払っているような、ふわふわした感じになる時。
雨。ざざ降りの、雨の中に閉じ込められるような。 あのなつかしい海のにおい。色が何もかも霞んで、わたしの存在もぼやけるような。
なんか書き出してみたけれど、動物としての幸せは、「満員電車に揺られて、仕事で言いたいことを我慢する」ような生活からは程遠いのだなと思う。
そしてわたしはなんだか、いつも、肉体の境界線が曖昧なため、外からの影響を受けやすいみたい。だから、できるならストレスの少ない環境、もっというと素敵な環境に身を置く時間を長くしたほうがいいみたい。
とにかく、ああ、満ちるなあ、幸せだなあ、という、動物としての至福の時間を自分にプレゼントしたいです。
(でも、ブログを書いている時と、幸せな妄想をしている時だけは、わたしが知的生命体でよかった、と思うんだけどね。)