わたしという生き方を模索するブログ from毒親育ち

寄生母とモラハラ父の共依存家庭に生まれたわたしの場合

聖母巡礼の旅が終わる時

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ゆうぎおうカードかよwwww

ババアって何なのだろう。わたしは最近よく考える。前回の記事にも同じことを書いたけど、

2chのオカルト板に、『人間の起源は、知的生命体が地球にやってきて、当時この星の中で一番進んでた動物(猿)に、自分たちのDNAを掛け合わせて人間を誕生させたのが最初』と書かれてあった。
 

動物としての自分をブロックした、いい子ちゃんの母に育てられた私は、当然のようにいい子ちゃんを引き継いですくすくと育った。自分の荒々しい部分、動物的な部分を否定して、のっぺりした平面的な優等生をやり、先生受けだけは抜群にいい、おとなしい妖精のような子供に育った。でも、どんどん無意識に憎しみが溜まっていって、成人する頃には二面性の激しい、生きづらくて仕方のない人間になっていた。

 

高校生のとき、遊園地でバイトしてて、そこの食堂に、女子プロレスラーのような、超強そうな体格の、野生みのあるババアが働いていた。カウンターに近よると、「ハイ、ねえちゃん、注文は〜?」とデスボイスで聞かれる。反射的に、(ひっ…取って食われる…)と思った。彼女がふぅ〜〜っと息を吹きかけると、私は飛ばされるんじゃないかと思った。

 

失礼な言い方なのかもしれないけど、私はこのようなワイルドな動物感のつよいババアのことを、メスゴリラ感と呼称する。そうとしか言えない。この、全身から溢れ出ている、エネルギーのようなもの。。

 

私はこのメスゴリラのババアのことを、内心バカにしていた。それまでずっと、知的生命体としてのエネルギーの使い方しか知らなかったのだ。いつも、ひたすら頭を使って考える。他人をジャッジし、こうあるべき、こうするべき、こうせねば。道徳。モラル。妄想。

「行動する」も、「感じる」も、「コミュニケーション」も、「愛する」も、本当はみんな、動物のエネルギーなのに。

 

 

成人した私は無意識に、聖母巡礼の旅をはじめた。自分の理想のお母ちゃんを探し求める旅だ。パートのおばちゃん、占い師、カウンセラー、整体の先生。
スピリチュアルなことが好きだったから、そういう人の元に数えきれないぐらいセッションを受けに行った。

生きるのが辛いとかそんな相談内容より何よりも、私は「無条件に受け入れてくれる母親」を求めていたのだ。今思えば。
めちゃくちゃ優しくて、聖母で、何もかも受け入れてくれる母を探していたけど、そんな人いるわけがなくて、いつもちょっと傷ついて帰ってきた。

 

女性なのに角刈りの、しかもそれが全然変じゃない、どっしりとした森三中の大島さんのような、整体のババアに懐いていたことがある。

「バイト先で、私を嫌ってくる人に超腹がたつんです!!」

思えば私は、幼児性をむき出しにしていたと思う。それはつらいね〜、かわいそうね〜と言ってよしよしされたかった。

「ハ?どうして?」そんなことで腹がたつ意味がわからない、ほっときゃいいじゃん、というような顔。

「どうしてって …相手が私を認めてくれないから?」

角刈りの大島さんは、ほんとうに下らないね、という風に鼻で笑ってから、「早くそのぬるま湯のお風呂から上がれたらいいね」と言った。達観したような、突き放すような、慈愛に満ちたような目だった。

 

 

最近では、LiLiCo似の、酒焼けした声のスナックのママのところに行っていた。この人とは、月1で行っていたスピリチュアルのカウンセラーのワークショップで出会った。

LiLiCoさんは「昼間なら家に来ていいよ」と言ってくれて、1度行ったけど、私が話を聞いてほしいのに、延々と自分が青春時代にヤンキーだったときの抗争の話をしてくるので、疲れてもう行かないことに決めた。

 

でもこの時、この人はボランティアで、善意で、わざわざ私のために時間を裂いてくれて、DQNだけどいい人だなぁと思った。

この人のおかげで私は、自分が、「タダで、延々と私の話を聞いてくれる人」を求めていたのだとはっきりと自覚した。その役目を果たしてくれるのは、母親以外、この世界にいないことも。そして、それだったら今のカウンセラーの先生でいいじゃんとも思い直した。(先生に不満があったのだった)

 

ずっと、『白い割烹着をきた、太ったババアに抱きしめられたい』という謎の願望があった。そういう怪しい店とかないかと本気で思っていた。わたしは、動物的な母の愛がほしかった。「お母さんはあなたが何よりも大切」だとかそういう、自己犠牲と見返りに塗れた言葉なんかよりもずっと。

 

わたしが求めていた母親は、この世界のどこにも存在しない。もしおカーチャンがほしいのであれば、自分がなるしかない。
わたしは、実母を諦めて、しっかり母に、っていうかババアになろうと覚悟を決めたのだった。