わたしという生き方を模索するブログ from毒親育ち

寄生母とモラハラ父の共依存家庭に生まれたわたしの場合

憎しみに塗れた自分を受け止める #1

(1)

twitterで、「怒ってる人がこわい」「怒るのが苦手」「怒れない」とよくTLに流れてくる。私もそのひとりだ。どうしてみんな、こんなに怒りの感情を抑圧しているのか? それは、日本ではあまりにも集団であること、集団のための個人みたいになってて、個としてのその人のあり方みたいのが無視されてきたからだと思う。

 

わたしたちは早ければ3歳で幼稚園にブチ込まれて、そこでもう徹底的に、嫌というほど、「みんなと仲良くしましょう」とか、「人に迷惑かけちゃいけない」とか、足並み合わせるための団体行動を刷り込まれるけど、それは、言ったら、「個を殺すこと」だ。そこに抵抗や違和感を持つことのできる自分の体に正直な人は、学校行きたくなくなるよね。

 

「学校に行きたくない」って感覚は、個としては正しいものなんだと、いまなら、私は14歳の自分に言ってあげたい。学校なんて全然大事じゃないと。それよりも、これから、(仮に80歳まで生きるとしたら、)あと66年も続く人生の方がずっっっっっと大事でしょと。

残念ながら世間体を気にする家族(=世間という集団に命を捧げることを洗脳された人たち)に精神的にボッコボコにされてまた無理やり学校に行くことになりその後16年がすべて地獄になった私が通りまーす♡

 

日本では、子どもに怒りを抑圧させることで、コントロールしやすくして飼いならしてきた。(うちはそれがめちゃくちゃ極端だった。怒りを持つこと自体を禁止され、それを出すと必ず罰を受けた。まるでこっちが親みたいに、母と父の心をまるごと肯定して受け止めてやらなければならなかった)だからもう、社会全体がそうなってる。みんな、腹の底に怒りをもっていて、ちょっと肩がぶつかったとか、そういう些細なことでブチギレてしまう。(まあおれの話な)

 

(2)

私は、ACを自覚する前、ずっと自分の腹の底に、怒りでいっぱいいっぱいになった、大きな水風船のようなものを感じていて、例えば電車の中とか、人が多く集まるところで他人にちょっと何か尖ったもので刺激されようものなら、そのぎゅうぎゅうに膨れ上がった水風船が割れそうになってしまって、でも水風船の割れてしまった自分は私の預かり知らない自分なのですごく怖くて、(何せ自分の怒りを扱うという経験を奪われたまま生きてきたのだ)もうどうなってしまうか、人を■してしまうんじゃないか、犯罪者になってしまうんじゃないかと恐れた。でも、それを止めていたのは「家族に迷惑がかかるから(やめよう)」という思考だ。もう、どれだけ家族が怖かったんだろう。18年もの間、あの地獄の上で、これが普通だと思いながら、どんどん無意識に怒りを溜めて、意識上では平気な顔して暮らしていた。

 

今考えたら、それは、「怒り」なんてとうに通り越したもの、憎しみだった。殺意ですらあった。それは、とても日常生活で処理しきれるようなものじゃなくて、私がこの家族のなかで生きるために必死で蓋をして、無意識の底に押しやったものであり、私が自分自身にすら隠していた気持ちだった。

 

加藤諦三botが「自己主張は怒りの洗練されたものです」っていってた。たとえば、外に私を怒らせる要因になるものがあったとして、無意識に怒りを溜めていない人の場合、怒りの反応(イラッッ)が10%だったら、「ちょっとちょっと!それはちがうんでないの!」って交渉することができる。でも、無意識が憎しみで溢れかえっている人の場合、イラッッが100000%にもなる。

そんなになってくると、人って、その場で発狂することすらできない。感じるのが辛いから抑圧していて、ス〜ッっと何事もなかったような涼しい顔して、3日後、マジで来る。体力ない人の筋肉痛と一緒だ。憎しみが大きすぎて反応することすらできない。怒りを自覚したころにはすでに色々終わっている。それから自分を責める。「あの時ああ言えばよかった」でもね、それは、怒りに気づく機会を奪われてきたことと、無意識に膨大な憎しみがあるからだよ。自分を責めるのは筋違いだと思う。

 

 (3)

わかりやすく子どもを虐待する親って、例えばご飯を食べさせないとか、暴力を振るうとか、暴言を吐くとか、そんな人は、ある意味で、無意識と意識が一貫してて、気持ちと行動も一致してる。無意識で子どもを憎み、意識でも子どもを嫌っている。

もし、そういうわかりやすく一貫した親に育てられたら、子どもは、「ああ、うちの親ってクソだな」って早めに意識することができる気がする。

そしたら、早めに自立のチャンスがある。などと私は思っているが、たとえ親の意識と無意識が一貫してても、子どもの無意識の中に憎しみが入るならば、その後の後遺症(社会に溶け込めない、絶望的な無気力、ひどい鬱など)が辛いのは一緒だな。ごめんなさい。

 

私が言いたいのは、意識では子どもを愛していると思っているが、無意識では子どもを憎み、虐待しているパターンの親は本当に最悪&最悪だと言うことです。

親に依存してて、親の無意識を捉えられないまま、(実は嫌われ虐待されているか、利用することしか考えてない)一生、無意識にパツンパツンの憎しみを溜め続け、他人にも憎しみを抱き、人を愛することもできず、触れるものみんな傷つけてしまう。

本人は、依存してるから、自分を虐待する親とだけはベッタリと仲がよく、ほかの人とは打ち解けられない。または、親と築いた主従関係をそのまま他人と繰り返し、支配し支配され、奪い合い、傷つけ合う関係しか築けない。

もしくは、なんとなく自分の無意識がわかっていると、「いつも人と主従関係しか築けないことに自分で気づいており、それが苦しいと感じているんだけど、どうしていいかわからないから人を避ける、深く関わることを避ける」等。。