わたしという生き方を模索するブログ from毒親育ち

寄生母とモラハラ父の共依存家庭に生まれたわたしの場合

どれだけ関わってもひとはみんな一人ぼっち

今日はニート支援所(ただしくは“自立支援センター”な、)の工房でクッキーを焼いた。

支援員の工房担当の男性はわたしより4つ下で、ちょっと情けない。いや、だめ、自分を卑下しないっていったじゃん、そういうとこだぞ!!(・ัω・ั)

 

私にはまだ愛着障害の名残りがあって、彼が作業しながら話しかけてくるので、なんか、聞かれるままなんでも話してしまって、『なんで今わたしは年下のスポーツマンにこんなことまで話しているんだ…』と冷静になる一面や、マスクの下で作り笑顔をした顔面が引き攣って、なぜかめっちゃ腹が立ってきて真顔になるなどの一幕などもあったが、

まんまるのクッキー型を抜きながら話した、青年とのやりとりがすごく心に残って、考えさせられた。

 

「…そういう、心の内を話せる人はいますか?」

「まえは、カウンセラーの女の人がいました。でも、なんかダメなんです。何が分かるの!?って思っちゃったんです。先生がよくしてくれたことは分かるんですけど。今はまず、自分との付き合い方なんです。自分を責めてばかりいたんです、わたし」

 

なぜかワイのTwitterで培ったAC雑学にスイッチが入ってしまい、

幼いころの抑圧ガー、脳の回路ガー、投影ガーと喋りまくってしまい、ただすこやかに生きている彼(すべてオートでできている)をぶっちぎりに置き去りにしてしまった。反省してる。

 

まあ、このへんは経験なので、何回かこなせば、いまの意識のわたしは、初対面の人との距離のとり方もその内うまくなるんじゃないかと思う。

 

 

でも、帰ってきてから、これまでの愛着障害の感じが、すこしよくなってることに気がついた。彼に「分かってもらわなくてもいいや」と思えたのだ。ちがう人間だし、当然だと。

 

どんなに関わっても、みんな、一人ぼっちなんだなと思った。それを受け入れつつある気がする。昔から、人との人のあいだ、どうしても埋められない隙間、距離感や境界線を思うと、切なくて哀しくて、いてもたっても居られない気持ちになった。離人症てきに、わたしには体の感覚がなかった。

 

いま、ほんのちょっとなんだけど、わたしには体の感覚がある。わたしは、「生まれてしまった」。個体として、この世界に。母から切り離されて、個として存在してしまった。もう、同じ存在には戻れない。それを、もう体でわかっている。生まれてから、30年近くわからなかったのだけど。

 

どんなに関わっても、みんな一人。一人ぼっち。わたしは一人で生きてかなきゃならない。その覚悟をきめた時、人との境界線や距離感は、切ないものではなくて、なぜか、やすらかなものになる。わたしはわたしでいい、人と違っていいのだと、個を守られるような気持ちになる。