わたしという生き方を模索するブログ from毒親育ち

寄生母とモラハラ父の共依存家庭に生まれたわたしの場合

長い自己紹介てきなもの

夏谷まみ

1989年2月生まれ

 

機能不全家庭の長女。

極度の依存体質、社会不安症でくそメンヘラな母親と、

モラハラパワハラ・セクハラのハラスメント三冠王&パチンカス&マザコンの父親との共依存家庭にうまれる☆

同居の祖母はパーソナリティ障害で、気に入らないことがあるとひっくり返って手足をじたばたさせ泣いて暴れる☆

 

 

家庭全体がブラック企業

母親は依存心が強く、いつも暴君のような父親のいいなりで、父親や祖母の愚痴を私に言い、同情した私vs父親、私vs祖母のような関係を生んだ。でも、よーく見てみると、母は結局父からも祖母からも離れられず、面と向かって言いたいことを言えずヘラヘラし、娘の私をゲロ袋として利用しただけだった。

父親からは、子供として存在する権利を奪われながら育つ。お決まりの、「おれの言うことが気に入らねえなら出ていけ」。娘にはハラスメントを行うが、こちらが少しでも彼の気に入らない発言をすると機嫌を損ねる、威圧、空気を悪くして委縮させる。マッサージの強要。

そういえば、父親がトイレの床にまき散らかしたションベンを娘の私が拭いていた。今思うと屈辱すぎてハラワタが煮えくりかえる。

母親は視力が極端に弱いために床の汚れが見えないのだった。←そういえばずいぶんこのことで、小学生の時から介護してきた。こう言っちゃなんだけど、家族に精神障害や身体障害があった場合、その子供は無自覚にかなりの精神的負荷を負わされる傾向が強いように思う。しかも親はまったく寄りかかっている自覚もないし、逆切れ&発狂するので子供は感情のやり場がない。できることは、自分で自分の気持ちを受け止めることだけ。 

 

母は母親としてマイナス10000000点の女だった。しかし洗脳されていたために彼女のクズさがよくわからず、それでも抑圧された女性嫌悪がずっとあって、外での女性との関わり方が未だによく分からない。女性といるとすぐ母親になってくれることを無意識に期待してしまう。

 

両親とは、かなり理不尽で一方的な搾取の関係にあったが、愛されたいという依存心からそれに気付かず、18歳まで両親に心を捧げる。

中学で不登校を経験、うつ病になりメンヘラになる。

取り返そうとして普通の高校に進学するも、陰キャをこじらせて教室ではほとんどしゃべらない貝パルシェンと化す。チンパン系男子にちょっとおちょくられる。

 

 

「退学届を場に出し おれの人生を終了する!!!!」

大学進学のために家を出る。

文学部に進学するが、夏休みにこれまでの人生をかけて書いた小説が終わらず、11月になって大学にいくとすでに友だちの輪ができていてぼっちになる。

授業が苦痛になり大学を中退してフリーターになり、将来を悲観。

書いていた小説はすばる文学賞に応募したけど3次選考で終わる。人生も終わる。

発達障害グレーゾーン、社会不安で人が怖くてあまり仕事ができず、バイト先でおばちゃんから露骨に嫌われてめっちゃ悪口をいわれる。学生時代も何一ついいことがなかったのに、社会に出てもずっとそのままだった。絶望。

この頃の口癖は、「もう体を売るしかない」。

 

 

親代わりの恋人への反抗心

ネットで知り合った一回り年上の男性と同棲。今思えばほんとうに神のようなタイミングだった。私のエゴで、頭で考えて媚びて計算したわけではなくて、「急に人生の風向きが変わって運ばれる」という感じだった。

メーカー勤務のこの男性は何不自由ない暮らしをさせてくれたし、「世の中には外で働くのが苦手な人だっているよ、家にいてもいいよ」という、今思えば神さまみたいなことを言ってくれたのに、なぜか『ムッキ~~!!!女をバカにしてるの!?!?女は!!奴隷じゃねーんだよ!!!男女平等!!!!男女共同参画社会万歳!!!!!』と反抗心があり、当てつけのようにできもしないバイトをして勝手にストレスを溜めて八つ当たりする。

はげしい認知の歪み。今思えば完全なキ●ガイである。ACは、「味方になってくれるはずの家族が敵」という状態がデフォルトで生きてきたから、「世間の人は全員敵!!!!」と無意識に刷り込まれてしまっているんだって…だから、優しい人のことも敵だと思ってしまうんだって…(遠い目)自分探しイズム より。とても参考になりました。

自分探しイズム1 (@sinrizm) | Twitter

 

 

本当は、自分の父親が嫌いだった。支配されて育った。それを意識できず、洗脳されたまま、1人暮らしになったばかりの時、「育ててくれてありがとう」なんてラリった手紙を送ったりしたほどだった。(つーか日本の、「産んでくれて/育ててくれてありがとう」って親に感謝しなければならない同調圧力感は一体何なの?マジで勘弁してほしいね!)

無意識には親に対する憎しみがずっとあって、それを庇護者である恋人にぶつけていたのだった。今なら分かるのだけど、彼は完全に「お父さん」だった。恋人とか、対等なパートナーではなかった。そして、他人なのに無償の愛をくれた。体調の波があって、ひどい時はほとんど家事もできずにネットばかりしていたのに。

共依存で喧嘩ばかりしていた。新宿で喧嘩になって壮絶なDISラップバトルになってギャラリーができたこともあった。だけど、とってもとっても感謝している。幸せになってほしい、これは本当に。心の底から。

 

 

なんやかんやで今に至る。

恋人にいい感じの女性ができる。彼は私みたいな産廃と結婚をしたがっていたが、本当にこの人でいいのか、なぜか心が苦しかったので7年も待たせていたのだった。(そら逃げるわ)無意識にずっと父親とのいびつな愛着関係があったからなのだが、その時はもやもやを説明することができなかった。彼が家に帰ってこなくなって、「ついにこの時が来たな」と思った。「その人のところに行っていいよ」と言ってはみたものの、家族より家族になっていた彼を失うのは意味が分からないほど辛かった。依存心だけれど。

家を出るのに数か月猶予をもらい、住み込みのバイトをしたり禅寺(みたいなところ)に入ったりする。彼を忘れるため、これから1人で生きていくために入った禅寺だったが男性依存のため、そこにいた男の子に惚れて追いかけまわし、完全に頭がお花畑になってしまう。(めっちゃ避けられていたw)そこにいた和尚的な人に、「あなたは男性を不幸にするから、あと2年ぐらい男性に近づくな」と謎の2年禁欲を言い渡される。

 

2017年、まさに清水の舞台から飛び降りるような気持ちで地獄の実家に戻ってくる。そして、これまで“まとも”だと思っていた家族のあり方を改めて観察する。全員がどうしようもない幼児性を引きずったままの大人であること、自分がどれだけ心を封印して生きてきたかを知る。たまに元恋人を思い出して泣く。心の居場所のないこの家において、元恋人と過ごした時間だけが心の安全基地だった。「2年経ったら…もう一度恋人と会いたい…あわよくば…ワンチャン…」などと依存心丸出しでたくらんでいたが、私の後に付き合った人と結婚しました☆との報告をこの間頂き、完全に終了する。この時に、「おめでとう、さようなら」をやっと言えた。返信するのに1週間かかった。気持ちもずいぶん清算されてきたように思う。

このぐらいでしょうか。