わたしという生き方を模索するブログ from毒親育ち

寄生母とモラハラ父の共依存家庭に生まれたわたしの場合

感情を表現すること

海で寝ていた。ニートです。

ピクニックシートの上に寝転がって日傘を差していたら、散歩をしているおじいちゃんがじわじわと近よってきた。

(話しかけんなよ…絶対話しかけんなよ…私はいま、話したくないのです…プライベートなんで。一旦事務所通してくれる?)などと思っていたら、「絵描いてんの?」と話しかけてきた。

 

「はぁ?」わたしは寝転がったまま、でかい声を出した。

それは、思わずじぶんの腹から出た正直な声と態度だった。

「違いますけど……」起きて、座る。

「………………………エヘッ(´∇`;)」媚びた笑顔。

沈黙。

じいさんは二言三言何か言って通り過ぎていき、いい子の仮面をつけたわたしだけが取り残された。

 

次の日もまたじいさんに会って、じいさんは帰るところ、わたしはこれからって時だったんだけど、「これからまた寝るの? 邪魔者はおらんからな〜〜」って言われた。うははwwwじじい、さてはお前、塩対応されたことを根に持ってんなwww

その時も、いい子↔腹のわたしがすごく葛藤してて、

いい子「邪(魔じゃないです)……エヘヘ、」

媚顔からスッと真顔に戻る

腹 「あーーーい!!!了解でぃ〜〜す!!!バイバーーーイ!!」

 

おれはもう自由だ!!これでいいんだよ。

書いてて、まぁちょっとじじい可哀想かなって思ったけど。

わたしは『話しかけられたくなかった』の。わたしはそう感じていたの。それを守ってほしかった(自分に)。そうだ、べつに、いい子でなくてもよくね?あとは、「アッこいつだめや…」って引き下がるのか、境界わかんなくて話してくるのかは相手の問題だよな。。

 

でも、嫌だったら、イヤですってことをできる限り表現してもいいんだ!表情なり態度なりで。そうだよ。わたしは今まで、あまりにも頑丈ないい子の仮面をピッタリくっつけて、その下で、「最悪〜〜最低〜〜ふつう察してくれるでしょ?なんで分かってくれないの〜?」って相手を罵っていた。それが、世界に対して母親を求めるってことだ。いついかなる時も、ニコニコして、ハイハイって従ってくれる相手を求めるということ。

 

相手は、他人なんだ。機嫌のいい時も悪い時もあるし、嫌なことも好きなことも全然わたしと違うかもしれない、他人なんだ。

わたしは機嫌が悪い時もいい時もあるし、それをべつに外に出しても構わないし、嫌なことはイヤって言ってもいいんだ!ちがうことはちがうって言っていいんだ。そっか。これ、テレビ版エヴァ最終回でシンジくんがたどり着いたやつに近いのかもしれない。

 

まえに女性の美容師さんと話ししていて、「一時期湯シャンをしてた」っつったらドンッッッッッッ引きされたことある。そんな引く?ねえ。わたしの存在自体がだめなの?死のうかな。と思ってめちゃくちゃ傷ついた笑

わたしはいつも思うのだけれど、AC(アダルトチルドレン)じゃない人って、思いがすぐ表情に出るよね。なんのためらいもなく。あれって、“いついかなる時も、完全に自分の味方”感があって、本当にわたしはそれが暴力的に羨ましい。「世界はいつも安全に保たれていて、じぶんが素を出しても、それが損なわれることはない」っていう、親からもらった安心感が無意識の中に入っているんだよ。だからあんなに堂々と感情を出すことができるんだよ。

ACはちがうからね。ACは、いい子じゃないと、親に従わないと生きてこれなかった人たちだから。いのち(生存権)を人質に、いい子であることを強制されてきたから。だからかな。わたしはできるだけ人の顔を見たくない。人の生の表情を見ると、とくにマイナスの感情を表現されると、傷つく。傷つくってゆーか、痛い。胸がギュッてなる。それは、もしかしたら、「私」が傷ついているのではなくて、本来は自由に怒ったり泣いたり、ドン引きしたり軽蔑したり、表現することを禁止されてきた感情が、出してよって言ってるのかもしれない。出られなくて苦しい、ああいう風に、わたしも、なんの罪悪感もなく、嫌悪感を顔に出したい。外に表現したい。感情がせき止められて、苦しい。っていう、じぶんの体からのサインなんだと思う。