わたしという生き方を模索するブログ from毒親育ち

寄生母とモラハラ父の共依存家庭に生まれたわたしの場合

依存と支配、被害者と加害者。

突然ですが、わたしの女性性は、

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「寂しいと泣いている小さな少女」と、

 

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イラスト:まふさん

「怒りに満ちた鬼女」に分かれている。

 

これまでの私は、小さな少女の自分しか認識していなかった。 

不安で怖くて、一人では生きていけなくて、恋人を父親がわりにしていて、でも無意識には実の父親への嫌悪がある。だから、父親代わりである恋人にもちゃんと心を開くことができない。いつも、何していても寂しい。「もう、一体どうしたいの?」って感じだよね。実際そう言われたし、私にももう何がなんだかよく分からなかった。っていうお話を昔書いていたのでヒマな方はどうぞ

それで、いつも、傷を引き受けるのはこの少女の役割だった。

 

少女の面が強調されるとき、私はいつも受け身な被害者になる。「わたしは何もしてないのに…」「☓☓にこんなにひどいことされた、どうしてなん?」弱々しく、憐れっぽく、世界に対して、共感してくれる母親だけを求めている。

それでも私を置き去りにして世界は勝手に動いていく。私の意志なんか、どこにも反映されない。というか、意志なんて最初から持ってなかった。やりたいことなんてさせてもらえなかったのだ。無気力になって当然かもしれない。

少女は、「死にたい」が口癖で、でもわたしはこの子の母親になる!と決めたから、死にたいから逃げないようにしたい。『おぅおぅ、死にたいね。そやね』ってつかず離れず、受け止めてみたい。わたしにもダメージがあるから、なかなかしんどいねんけど。

 

 

つぎは、怒りに満ちた鬼女について。

2月、目の前で両親が喧嘩を始めた。私は自然と母の味方をした。(それは、母を庇いたいわけじゃなく、自分の女性性があまりにも傷ついていることに反応したのだ)

その時父から、「お前には関係ないやろ!」と言われた。ショックすぎて死ぬかと思った。それは私の、この家でのアイデンティティの剥奪に近かった。

 

でも、そんなアイデンティティ、マジでいらねー。そうだ、本来、親のことなんか子どもには関係ないのだ。私が入り込みすぎているのだ。つーか引きずり込まれてきたと言ってもいい。親代わり、親子の立場の逆転。子どもの時はそうしないと生きていけないと思い込んでいたから、必死に仲裁をしていた。それを、今になって「お前には関係ない」と言うのは、「お前はいらない」と同じだった。

 

久しぶりに怒りで発狂して、その場で雄叫びをあげてしまった。(私けっこう元気だよねwww)その時、「これッッだけにしてやってきたのに!!!」というワードが思い浮かんだ。私の中に、『親のために人生を捧げてきた自分(自己犠牲)』、『親を自分の子どものように面倒みていた自分』がいて、その私が、「自分がいなくても親はなんやかんやで喧嘩しながらも仲良くやっていく」ということを認められないのだった。だって、ずっと親のためだけに生きてきて、自分のために生きるってことが分からなかったから。

これじゃ、どっちが毒親なのかよくわからない。

 

こんな風に、「一人じゃ生きてけない〜」と依存心のある少女の私と、「これだけしてやってるんだから私を認めろ!!!」と支配することで見返りを求める私、『わたし』が二つに分裂していて、でもそれは根っこは同じもので、“精神的な親”なるものに、受け止めてほしいし、認めてほしかったんだ、自分を。

 

一つ前の記事に書いたけど、この鬼女である私の中には、自分じゃどうしようもない、怒りを通り越した憎しみや恨みや敵意が溜め込まれていて、それをどうやって扱っていいのかまだ探り探りの状態だ。少女の「死にたい」はこれまで、逃げながらもずいぶん感じていたけど、鬼女の「みんな●してやる!!!」の破壊的パワーは正直、ふれるのが怖い。笑

 

でも、『自立した女性』というのは、完全にこの二人が仲良く手を繋いで調和した状態を指すんじゃないかなと思うの。わし、自立したいい女になりたいんやマジで。バイト探さなきゃ。

だから、今まで、少女で受け身の自分を自分と思っていたけれど、わたしは自分の、怒りに満ちた嫌な女、クソ鬼女の部分を意識して、認めていきたい。わかってあげたい。笑ってほしいな。そしてかっこいい大人の女になりたいと思う。本当に。