わたし氏、ババアになることを恐れる
最近、“自画像”と“現実の自分”が噛み合っていないことに気づいてきたの。
自分の母親を見てるとわかるんだけど、60歳なのに自分のことを少女だと思っている節がある。「わたしは誰も傷つけない、優しくて善良な少女です」って思ってる。
母の自画像:
現実の母:
でも、そんなわけない。
驚くことにわたしは27歳まで、その母の自画像を信じ切っていた。母は優しくていい母親なんだと思っていた。メンヘラでも、必死で子育てをしていた。
わたしは母と一度も、ガチの喧嘩をしたことがない。不満を言うと防衛本能が働くのか、泣くから。
「わたしはこんなにがんばっているのに…」とか言って。母はいい子の仮面を死守してきた。たぶん死ぬまでずっとそう。
だから、母の自画像に洗脳されているわたしは、「そんな優しくてがんばっている母に不満を持つ自分は最低の人間なんだ」とずっと思ってきた。
母への憎しみと同じ分だけ、自分を嫌悪した。自分が嫌いで、友だちのことも、誰も好きになれなかった。
母は、自分が実際にやっていることと、頭でしているつもりになっていることに、めちゃくちゃ大きなズレがある。
そういう人って大概イタい。どうしようもなくイタい。
イタいだけならネタ的に面白いかもしれないけど、そんな人が親だったら子供の性格歪む。
わたしも14歳〜16歳ぐらいまで、自分を「二重にすれば堀北真希」と思って生活してた。
普段の自分は仮の姿だと自分に言い聞かせていた。
22歳〜24歳までは、ほぼ吉高由里子だと思って生活をしていた。
いま、客観的に見て、ほんとうに、目が2つ、鼻が1つ、口が1つあること以外は何の共通点もない。わたし、どした?
話を戻すけど、わたしの母親は、ババアのなりそこないだ。
自分のこと、やさしい少女って思ってる。でも、本当はババア。
しかも、自分のことババアって自覚ないから余計に、性格のひん曲ったいやらしい老婆みたいな時がある。
ワイのソウルジェムももう濁りきって、もう魔女(ババア)になる寸前なんだけど。
というか、女性は、たぶんいつかのタイミングで、少女からババアにならざるを得ない時が来るのだと思う。
それは、脱皮というか、「世界に愛されるいい子のわたし」から、「ああ、もうわたし、世界なんていうあやふやなものに自分を差し出してまで愛される必要なんかないんだ。わたしでいいんだ、わたしがわたしを愛せばいいんだ」って悟る時期なのだ。
それは、言ったらまあ、父親との愛着関係を終わらせる時期だと思う。
この間、音楽番組でベッキーを見たの。
10皮ぐらいむけた、自立したかっこいいババアになっていた。
以前、金スマで、隠しカメラで休憩中のベッキーの様子を写した映像があって、ものすごく機嫌悪そうに、「クソだり~~~~」って感じで歩いていて、それが、普段の「ベッキーだよ~」からすごいギャップがあって、でもわたしもその「クソだり~~~」を持っている側の人間だったからすごくリアルで、親近感が湧いたことがある。
「いつも笑顔でいなきゃいけない」
「振りまかなきゃいけない」
そうやって不機嫌な自分を閉じ込めていることへの反動なんだなと思った。
ゲス不倫の騒動のあと、なんで戻ってこれたのかみたいな意地悪な質問に対して、「どれだけ世間からバッシングされても、周りの大事な人が、手を離さないでいてくれたから」って言っていた。
はじめて、自分を商品としてじゃなく、人間として大事に扱ってくれる人の愛に触れたのね、って思った。
それから、自立して、かっこいいババアになったのだ。
「わたし何もできないの~」って守ってもらう立場のまま、恋人にお父さんを求めて生きるか、
(でも大体「守る」ってことは保護下に置くってことだから、恋人にはコントロールされるし、そうなったら共依存になっちゃうな)
それとも、「アッ!!わたしもう大丈夫だ、1人の人間として生きていける!!」って思って自立して、それから恋人と対等な関係を築けるかは、本人次第だと思う。
わたしは今まで前者だったのだけれど、ずっと心が苦しかった。
違和感があったし、「このままじゃ本当にいやだ、生きてる意味ない」って思っていた。
いま、ちょうど開き直るとこまできたような気がするけど、ためらいもあるし、こわいけど、でもここまでこれてよかったなって思っている。
こうなったら、最強のババアになるぞ~!!