わたしという生き方を模索するブログ from毒親育ち

寄生母とモラハラ父の共依存家庭に生まれたわたしの場合

きちがいのいる生活。

家庭内に、救いも居場所もないということを自覚しだしてから、海に行くようになった。母にも父にも受け止めてもらえなかった、わたしというたった一人の生き物としての存在を、海は受け止めてくれた。

 

ビニールシートをひいて、そのうえに寝転がる。顔の前に日傘を置いて、体だけ日に当てる。母親のカウンセラー代わりとしてのわたしではなく、父親ごっこするための人形でもなく。何の精神的役割を果たさなくても、ただの生き物として、海は、なんの見返りもなく、存在することを許し、受け止めてくれる。

 

わたしが自然に対して開かれたというところも大きいかもしれないけど、こんなに無償の愛を受け取っていいんだ、とすごく深く安心した。わたしはずっと聖母を探し続けていたけれど、それは人じゃなくて、自然だったんだって。母なる大地とかいうけど、ほんとそれな、って。小学生のときからこの海で遊んでいたけど、わたしには人間の精神的な母親がいなくても、すでに、地球に許され、愛され、受け入れられてたんだ。と。

 

 

今日は、母の代わりに買い物に行って、そのお釣りで、燻製したミックスナッツと、チューハイを買った。気温も高くて、風が気持ちいい、外で飲酒するのに最高な日で、すべてが完璧にわたしのために用意されたみたいだった。

好きなだけだらだらと寝転がったあとで、青空にむかって、プシュっと栓をあけた。

日本酒じゃなくてチューハイなので、この前の、全てと一体になるようなうっとり感はなく、ほんのりとぐにゃぐにゃになった。ぐにゃぐにゃになったまま、また寝転がって、頭の上で腕を組み、足もクロスさせる。このポーズをすると、なぜか誰もいないのに、「ピクニックしている俺」感を演出してしまう。これで口笛を吹けば完璧だ。ちょっと何言ってるのかわからない。

 

昼の3時から、夕日が沈むまで、ずっと海にいた。あたりが暗くなりはじめてきたころ、わたしは少しだけふらつき、寒さを感じながら帰路についた。帰路といっても、歩いて3分の距離だけど。そして薄墨いろの空気のなかで、堤防に、老婆が座っているのが見えた。祖母だった。

 

「まみちゃんか?まみちゃんやろ?どこまで行ってたの?何してたんや?」

パーソナリティ障害の彼女は、家族の帰りが遅くなると、いてもたってもいられなくなり、檻の中の熊みたいに歩きまわり、心配だ心配だと騒ぎ立て、不安を家中にばらまき、ケータイに電話しろとまでせっついてくる。(なぜか自分からは電話しない)

母にそれをやったけれど無視され、彼女自ら、直々に迎えに来たのだった。

「いや、海だよ。最近いつも行ってるやろ。7時には帰ってきてるやん」

かるく酔っていて、頭がぼんやりしていた。

祖母は、いかにも悲劇のおばあちゃんみたいな顔をして、「心配なんだよ…」といった。最近、思うように足が動かないらしく、足を引きずり、杖をついてまでここに来たのだった。なんだその地獄のような執着心は。

 

わたしが歩きだすと、彼女もまた杖をついて足を引きずりながらゆっくりと後をついてくる。このまま一人、早歩きで帰りたかった。

「お母さんのこと、手伝わなあかんやんか……お母さん、大変なんやで?」

(酔ってま〜〜〜すwwwうぇ〜〜〜〜〜いwwwwwおばあちゃんもどうですかー?wwwwそんなしんみりしてないでさーwwwww)と、わたしは言えず、ただ神妙な顔を作ってゆっくりと歩いた。

昔の祖母なら、泣き崩れていた。わたしを罪悪感で絞め殺し、完全にコントロールするために。それに比べると、ずいぶんマシになったものだ。お前もなかなか成長したやんけ。あとはもう死ぬだけやな。

 

悲劇のおばあちゃん役にすっかりとハマり、ぽつぽつとした「悲壮」の調べは続き、家を目前にしたゆるやかな上り坂にさしかかった時、彼女の調べもピークを迎えたようだった。

「お父さんがかわいそう……一人だけ働かされて…可哀想…!!」

涙声がまじっていた。

 

(で、でたーッwwww「お父さんが可哀想」wwwいつものリリックwwww悲壮感の極みwwww働wかwさwれwてwwwww爆笑wwwwww)

これはわたしが実家に帰ってきて無職のまま半年が過ぎたころに祖母が作り出した、「自分の悲壮感を演出し、・大事なムチュコタンでオナニーしながら・働いてないわたしを批難する」という、あたりを焼け野原にしてしまう滅びの呪文だった。

 

祖母は昔から気分障害で、祖父が亡くなって以来、それはより顕著になった。スイッチが入ると、この世のすべての絶望をかき集めたような気分に浸り、同情を買うためか、家族に聞こえるように泣き言を言うのだった。

いつも朝と夕方、祖父の仏前でお経を唱えるのが祖母の日課だったが、特に夕方、彼女の感情は乱れることが多く、そんな時祖母は、木魚が刻むビートに合わせて、自分の思いをリリックにして音楽を奏でていた。それはまさに家族という社会にぶつけられるロックンロールだった。

内容は、自分の体調を嘆くものや、家族への愛の渇望、ニートの子供を2人も抱えてしまった息子への憐れみ、亡くなった愛する祖父への想い……。いつも影でこっそり、彼女の魂のロックンロールを聞いていた。わたしはこの、あまりにも笑ってはいけないシュールな展開に、身も心も魅了されていた。

 

祖母は、頭がおかしい。認知が歪みすぎてる。家の隣に、祖母の妹であるおばあさんが住んでいるが、しょっちゅう喧嘩をして無視されてる。この間、わたしに、面と向かって「あなたのおばあちゃんは頭がおかしいからね」とハッキリと言われた。十分にわかっている。他人とは分かり合えないことの方が多いけれど、彼女は他人の気持ちを一切思いやることのできない人なのだ。

 

 

中学時代、不登校になったとき、祖母はわたしに五千円札を握らせた後で、「これで学校に行ってくれ」とサラッと言ったので泣き散らかした。その場で五千円札をビリビリに破ってしまいたかったが、金だけは冷静に財布にしまった。その行為が更に自分を傷つけた。

彼女にとってわたしは五千円の価値しかない。それでなんとかメンツを保とうとしている彼女に心の底から絶望した。

その時からわたしは、「嗚呼、このひときちがいなんだな」と納得し始めていた。祖母をコントロールして、まともにしてあげたいとか、“普通”の認知を教えてあげたいとか、そんなことはもう諦めた。

 

ただ同じ家に住んでいるけれど、もう、極力自分が不快な気分にならないように、(彼女のすべてをネタにして)暮らしていけたらなと思う。

正直、実家に帰ってきてから、全力で彼女の死を願っていたこともあったけど、わたしが罪悪感を卒業してから、彼女の攻撃は効かなくなった。彼女は死ぬまで罪悪感を抱えながら、地獄のように生きてくのかもしれない。でも、わたしはただの観察者として、それを見守ろうと思う。