死にたくていい。
引きこもり生活、1年と7ヶ月。初めのころは、家にいるのが苦痛で苦痛で、いてもたってもいられなかった。
いまは思うのだけど、わたしは生まれてから29年間、多分、力を抜いたことがなかった。
「力を抜く」というのは、頑張ってないことになり、それは家のルール、母の中では、だめなことだった。母は生まれてからたぶん一度も力を抜いたことがない。母はいつも、頭と首の血管をぎゅうぎゅうにつまらせ、自分を追い立て追い詰めて生きてきた。それだけならまだしも、子供のことも追い立て追い詰め続けていた。無意識に。
母はメンヘラだ。自分のことを自分ひとりで支えることができない。そして、永遠に自分から逃げている。彼女は、自分のことをメンヘラとも思っていない。ほんもののメンヘラは病識すらない。
ものごころついたときから、わたしは、“存在で拭われた”という感じがずっとしていた。
私という、生まれたばかりの、まっ白で清潔な布で、母は、赤黒く汚れた両手をぬぐった。罪悪感を。恥辱を。後ろめたさを。そしてすべてをわたしになすりつけて、自分は平然と生きている。
母が自分で向き合えなかった病んでいるところ、すべてわたしにしわ寄せがきた。思春期に、わたしが「死にたい、精神科に行く」といったところ、彼女は「やめてよ」といった。
そして3週間後ようやく精神科に着いて来てくれたかと思ったら、隣にいるわたしをおいて、男性の先生に、「私も辛いんです〜」と媚を売っていた。まるで父親に甘えている少女のようだった。事実、彼女は軽度の精神遅滞が見られる。指摘すると発狂するけれど。
なんでこんなおかしい女のことを、今まで守ろうとしてきたのだろう。わたしはもうボロボロだし、死ぬ直前ってかんじだ。自律神経も逝ってる。彼女を可哀想だと思ってきた。でも、それは自分を投影してきただけで、この女はずっと自分のことしか考えていない白痴だった。
一言でいうと、ほんと虚しい。わたしの人生、いったいなんだったんだろうな。砂をかむような、ってこれのことか。わたしはもう、横になって寝ていることしかできなくて、いまはそれが精一杯だ。
ぼうっとしていると、「悔しい」「死にたい」と思って泣けてくる。ほんとに何にもなかった。どんな幸せも、どんな喜びも、わたしのそばをスーッと通り抜けていくばかりで、いつも腹の中には、意識されることのないこの虚しさや絶望感だけがあった。
もうだめ、ずっとさこれを、この虚しさを隠したまま生きてきた。でも、死にたいもんは死にたい。死なせろ。くそが。
「えっ?聞こえない。生きててよ、わたしのために…泣」
母のやり方はずっとこんな感じ。同情を誘うやり口。うるせーお前が死ね。お前が死ねばよかったのに。
誰にも許可されなかった「死にたい」を、わたしだけは許す。死んでいいよ、行動しなければ。「死にたいと心底思うことを許可する」。死にたいといってるわたしをただ肯定してだきしめる、みたいなこと。死にたいと思うことすら許されなかった家庭だったのだ。ほぼ北●鮮じゃねーかくそが。