わたしという生き方を模索するブログ from毒親育ち

寄生母とモラハラ父の共依存家庭に生まれたわたしの場合

ずっと貰い続けるか、与える側になるか。

親に与えられないまま育った(むしろこちらがありったけ与えてきたし、奪われてきた)ので、与えてくれる人を見つけようと必死になって生きてきた。血眼なぐらい。

それは、ものすごい飢餓感で、対象者に取りすがって相手の肩を揺さぶり、「わたしを愛して!わたしに与えて!わたしだけをみて!ちょうだいちょうだい、もっともっと!」というような全身全霊の渇望。

 

物心ついた時から、わたしは特にネットの人、遠くにいる人に対してこういう感情を抱くようになっていた。例えば前に、ゲーム実況してる人のことがめちゃめちゃ好きになって、ず~~~~っとその人の動画を見続けていたし、(体が「もう疲れたからやめてぇ><」と言ってるのになぜか止められない)24時間うっとりとその人のことを考え続け、脳がしびれたようになっていて、「結婚したい」「彼女になりたい」と思っていたけれど、はっきり言って、存在の一体化を望んでいた。

 

心の冷静な部分では、「アッ私なんかちょっと(頭)おかしいな…」とか、「結婚できねぇよwww常識的に考えて」とか、分かっているんだけど、ホントにホントにどうしようもなく苦しくて、依存症なんだろうけど、そんなことを頭で知識として知ったところでどうすることもできなかった。

ただ、わたしがストーカーにならなかったのは、体力がないからもあるけど、その時の自分が「きもちわるい」ことだけは分かっていて、なんかこう、自分から黒い靄のようなものが出ているというか、餓鬼(地獄に落とされた亡霊で、食べても食べても永遠にお腹が満たされない病にかかってる)に取り憑かれている感があるということを分かっていたからだ。

あと、相手に拒否されたらめちゃめちゃ傷つくから、こちらから働きかけるということを一切しなかった。現実では、ただ動画を見て脳内でうっとりとしていただけだ。でも、わたしには私がどうしようもなく気持ち悪かった。

 

 

ずっと、「アーティストとファンの関係って何?」と思っていた。それは、ミイラ取りがミイラになる、みたいなことで、表現者になる人はもう大多数がACで、機能不全家庭に生まれついてる。親に理解されなくて、理解されないどころか心を奪われて、これ以上取られないように、殻に籠ったまま、殻の中に引きこもってる。そこに、じかに光が届くことはなくて、世界の温かさに触れることはできない。だけど、唯一、同じ境遇みたいな表現者の言葉だけが届くんだよ。それを貪るの。もらえなかった親の愛情の代わりに。

 

でもね、これはもう際限がない。本当に、終わりがないの。対象が、表現者だって福山雅春だって(マンションに侵入したアクティブな人いたよねw)、youtuberだって、男性だって、同じ。自分が、いつまでもいつまでも赤ちゃんで、横になったまま、してもらう側であることを選択している限り、絶対に心の穴が塞がることはない。救われることがあったとしても。ひとは、自分で起き上がる気がない人のことを、無理やり起こして立たせて歩かせたりなんか、絶対にできない。

 

いいから、まず立て。座るのでもいいから。ミルク飲ませてもらおうとするの、やめろ。自分で歩いて取りに行けよ。それで、自分のためだけに、自分の中の赤ちゃんのためだけに行動する。(自分に言っています)

わたしが感動したアーティストだって、別にわたしのために作品を作ってるわけじゃなかった。彼らは自分の中の赤ん坊に対して作ってたんだよ、ずっと。本人が意識できるか否かは別として。

それを見て、美しいとか、綺麗だとか、最高とか、そういう感想を持つのは、それが自分の宝箱のなかにも眠っているからだ。「感動した」ということは、それと繋がったということ。自分のなかに同じものが存在してるということ。それを掘り起こす。信じる。

 

わたしは、常に赤ちゃんだったけど、人生の中で何回か与える側になったこともある。だから分かるのだけれど、与える方は、自分に群がる依存者の飢餓感にはめちゃめちゃ敏感だ。だってそれは低い次元での自分だったもんね。それを許してるか否かで対応が変わってくるけど、オタクは大概きもいよ。飢餓感を薄めて、洗練されたオタクになったらまともに対応してくれる気がする。(でも飢餓感薄まったら会いに行かないのかも)

でもさ、「こんなに金つぎ込んで握手会に行ってるのに二コリともしない」みたいな人は、超こわいなぁ。何もかも受容してくれる絶対的な母親を求めていて、しかもそれに無自覚ってことは、幼児性と同化しているってことでしょう。手を握ってる時、絶対、魂吸い取られそうになってんだろうなあ。

 

わたしは一回、めちゃめちゃハマってる時に握手会てきなものに行ったことがある。その時、その男性は、きもかっただろうに、めっちゃ爽やかに手を握ってくれて、「がんばってね」的なことを言ってくれた。いま思えば、本当に、尊い…。神なのかよ…。

わたしの、ずっとその人のこと考え続けてべったり依存してたこと、全然バレてないと思ってたけど、実はモロバレだったんだろうなぁ。。笑 分かっていてなお、笑顔で対応してくれたってどんだけなんだよ…。尊い。本当にありがとう…。心底幸せでいてほしい。。

 

これから、人にもらおうとするのを止めたい。完全に。自分の足でちゃんと歩きたい。私は私でしかなく、でも、父は父親ではなかったし、母も母親ではなかった。笑 私が父と母になるしかない。自分の。