わたしという生き方を模索するブログ from毒親育ち

寄生母とモラハラ父の共依存家庭に生まれたわたしの場合

動物としてのしあわせ

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(5/1に書いていたもの)

昨日、満月だった。眠くて眠くて、1日何もできなかった。ずっと寝ていた。

まえは、「調子が悪くて寝ている」ということがデフォルトで、一週間そのままなんてこともあって、布団を干して部屋の掃除をするなんてことも一苦労だった。

そんな状態に比べて、今回の「ずっと眠くて何もできない」は、ずいぶんと余裕があるように思える。毎日の日課の、「海で夕日を眺める」だけはできたし。

 

調子が悪くて寝ているのが常だったとき、いつも頭が邪魔をしていた。寝ていても、「こんなんじゃだめだ」「私はクズだ」「早くバイト探さないと」「親になんか言われる」と、ずっと怯えて、緊張していた。そんな頭の声を打ち消したくてネット漬けになっていた。

体の「休む」という選択を、尊重できていなかったのだ。わたしは精神で生きてるわけじゃなく、肉体で生きているのに。世界で一番大事な体を、わたししか大事にしてやれない体を、わたしは今までずっと、虐めてきたんだなあと思った。かなしい。

 

体と頭の関係性は、親と子どもが最初だろうな。親が子どもの欲求を無視して自分の意見を押し付けると、子どもは自分の身体の欲求を無視する子どもになる。そして、その子どもが親になって…っていう連鎖。

家に帰ってきてから、何度、『先祖全員fuck you!』って思っただろう。でもこれは、戦争後遺症なのだそうだ。ACのカウンセラーさんが言っていた。「自分の欲求を無視して、国全体のために尽くす」という生き方が、巡り巡って、いま、ACやメンヘラを生む元になっているんだと。だから海外に逃げる人が多いんだなと思ったりする。

 

 

ここしばらく、完全に寝ることに集中してた。頭がなにを言っても、まわりがなんて言っても、おれは!絶対に!寝ることを!やめない!と、強い意志で、休むことに集中した。というと変な力が入りそうだけど、ようは、自分の体がその時一番したいことに耳を傾け、それを実行した。

 

「○○しなきゃ」と考えながら横になってる時、時間が一番もったいない。実際はできもしないし、そうかといって、そこにピントを合わせると体が休むことに集中できないから。ずっと、エネルギー(気力)が漏電状態。そういう時は、みんな放り投げる。完全に手放す。知〜〜らね、ポーーーイ!と遠くへ飛ばす。

 

今日は1日、動物みたいに昏々と眠って、ごそごそと夜中に起きだして、妙にお腹が減っていたので、誰もいない台所に降りていって、カップラーメンを食べた。たまに無性に食べたくなるこの塩分と脂肪分過多な、ジャンキーな味。濃いとんこつしょうゆ味。ああ、なんというしあわせ。

 

わたしは、はたから見れば、恋人に振られて1年4ヶ月も引きこもりニートで、もう29歳で、人生が終わっているように見えるだろうし、一体何が楽しくて生きているのか、母や祖母にはまったくわからないのだろうが、いま、この瞬間、わたしは心から満ちていて、ただ幸せだった。

 

 

2chのオカルト板に、人間の起源は、知的生命体が地球にやってきて、当時この星の中で一番進んでた動物(猿)に、自分たちのDNAを掛け合わせて人間を作ったのが最初だと書かれてあった。

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ダーウィンの進化論を全無視してるこの説が、わたしは妙に好きだ。 

わたしは、頭だけの、いい子ちゃんでやってきた母に育てられて、精神だけで生きてきた。ずっとじぶんの肉体を、感情を無視してきた。それで、動物としての幸せが無視されることになった。

 

動物としての幸せって何なのだろう。

それは、体に、余分な緊張がなくて、リラックスしている状態。快。肌の感覚。その瞬間を、生きていること。

 

5月の、ふうわりとしたなまやさしい風の中で、土の匂いを嗅ぎながら、新緑のなかを歩く。とか。日の光に葉っぱが透けていて、ちらちらと差すまぶしいあの光。

もしくは真夏に、クーラーの効いた部屋で、肌に触れるタオルケットのさらさら。

晴れた日曜の朝、大通り沿いのカフェでモーニングを食べながらオレンジジュースを飲んでる時。

夏、温泉の帰り、夕暮れの中を歩いていると、自分の体温と外の気温が混じって、世界と一体になったような、すごく酔っ払っているような、ふわふわした感じになる時。

雨。ざざ降りの、雨の中に閉じ込められるような。 あのなつかしい海のにおい。色が何もかも霞んで、わたしの存在もぼやけるような。

 

なんか書き出してみたけれど、動物としての幸せは、「満員電車に揺られて、仕事で言いたいことを我慢する」ような生活からは程遠いのだなと思う。

そしてわたしはなんだか、いつも、肉体の境界線が曖昧なため、外からの影響を受けやすいみたい。だから、できるならストレスの少ない環境、もっというと素敵な環境に身を置く時間を長くしたほうがいいみたい。

 

とにかく、ああ、満ちるなあ、幸せだなあ、という、動物としての至福の時間を自分にプレゼントしたいです。

(でも、ブログを書いている時と、幸せな妄想をしている時だけは、わたしが知的生命体でよかった、と思うんだけどね。)

 

 

 

きちがいのいる生活。

家庭内に、救いも居場所もないということを自覚しだしてから、海に行くようになった。母にも父にも受け止めてもらえなかった、わたしというたった一人の生き物としての存在を、海は受け止めてくれた。

 

ビニールシートをひいて、そのうえに寝転がる。顔の前に日傘を置いて、体だけ日に当てる。母親のカウンセラー代わりとしてのわたしではなく、父親ごっこするための人形でもなく。何の精神的役割を果たさなくても、ただの生き物として、海は、なんの見返りもなく、存在することを許し、受け止めてくれる。

 

わたしが自然に対して開かれたというところも大きいかもしれないけど、こんなに無償の愛を受け取っていいんだ、とすごく深く安心した。わたしはずっと聖母を探し続けていたけれど、それは人じゃなくて、自然だったんだって。母なる大地とかいうけど、ほんとそれな、って。小学生のときからこの海で遊んでいたけど、わたしには人間の精神的な母親がいなくても、すでに、地球に許され、愛され、受け入れられてたんだ。と。

 

 

今日は、母の代わりに買い物に行って、そのお釣りで、燻製したミックスナッツと、チューハイを買った。気温も高くて、風が気持ちいい、外で飲酒するのに最高な日で、すべてが完璧にわたしのために用意されたみたいだった。

好きなだけだらだらと寝転がったあとで、青空にむかって、プシュっと栓をあけた。

日本酒じゃなくてチューハイなので、この前の、全てと一体になるようなうっとり感はなく、ほんのりとぐにゃぐにゃになった。ぐにゃぐにゃになったまま、また寝転がって、頭の上で腕を組み、足もクロスさせる。このポーズをすると、なぜか誰もいないのに、「ピクニックしている俺」感を演出してしまう。これで口笛を吹けば完璧だ。ちょっと何言ってるのかわからない。

 

昼の3時から、夕日が沈むまで、ずっと海にいた。あたりが暗くなりはじめてきたころ、わたしは少しだけふらつき、寒さを感じながら帰路についた。帰路といっても、歩いて3分の距離だけど。そして薄墨いろの空気のなかで、堤防に、老婆が座っているのが見えた。祖母だった。

 

「まみちゃんか?まみちゃんやろ?どこまで行ってたの?何してたんや?」

パーソナリティ障害の彼女は、家族の帰りが遅くなると、いてもたってもいられなくなり、檻の中の熊みたいに歩きまわり、心配だ心配だと騒ぎ立て、不安を家中にばらまき、ケータイに電話しろとまでせっついてくる。(なぜか自分からは電話しない)

母にそれをやったけれど無視され、彼女自ら、直々に迎えに来たのだった。

「いや、海だよ。最近いつも行ってるやろ。7時には帰ってきてるやん」

かるく酔っていて、頭がぼんやりしていた。

祖母は、いかにも悲劇のおばあちゃんみたいな顔をして、「心配なんだよ…」といった。最近、思うように足が動かないらしく、足を引きずり、杖をついてまでここに来たのだった。なんだその地獄のような執着心は。

 

わたしが歩きだすと、彼女もまた杖をついて足を引きずりながらゆっくりと後をついてくる。このまま一人、早歩きで帰りたかった。

「お母さんのこと、手伝わなあかんやんか……お母さん、大変なんやで?」

(酔ってま〜〜〜すwwwうぇ〜〜〜〜〜いwwwwwおばあちゃんもどうですかー?wwwwそんなしんみりしてないでさーwwwww)と、わたしは言えず、ただ神妙な顔を作ってゆっくりと歩いた。

昔の祖母なら、泣き崩れていた。わたしを罪悪感で絞め殺し、完全にコントロールするために。それに比べると、ずいぶんマシになったものだ。お前もなかなか成長したやんけ。あとはもう死ぬだけやな。

 

悲劇のおばあちゃん役にすっかりとハマり、ぽつぽつとした「悲壮」の調べは続き、家を目前にしたゆるやかな上り坂にさしかかった時、彼女の調べもピークを迎えたようだった。

「お父さんがかわいそう……一人だけ働かされて…可哀想…!!」

涙声がまじっていた。

 

(で、でたーッwwww「お父さんが可哀想」wwwいつものリリックwwww悲壮感の極みwwww働wかwさwれwてwwwww爆笑wwwwww)

これはわたしが実家に帰ってきて無職のまま半年が過ぎたころに祖母が作り出した、「自分の悲壮感を演出し、・大事なムチュコタンでオナニーしながら・働いてないわたしを批難する」という、あたりを焼け野原にしてしまう滅びの呪文だった。

 

祖母は昔から気分障害で、祖父が亡くなって以来、それはより顕著になった。スイッチが入ると、この世のすべての絶望をかき集めたような気分に浸り、同情を買うためか、家族に聞こえるように泣き言を言うのだった。

いつも朝と夕方、祖父の仏前でお経を唱えるのが祖母の日課だったが、特に夕方、彼女の感情は乱れることが多く、そんな時祖母は、木魚が刻むビートに合わせて、自分の思いをリリックにして音楽を奏でていた。それはまさに家族という社会にぶつけられるロックンロールだった。

内容は、自分の体調を嘆くものや、家族への愛の渇望、ニートの子供を2人も抱えてしまった息子への憐れみ、亡くなった愛する祖父への想い……。いつも影でこっそり、彼女の魂のロックンロールを聞いていた。わたしはこの、あまりにも笑ってはいけないシュールな展開に、身も心も魅了されていた。

 

祖母は、頭がおかしい。認知が歪みすぎてる。家の隣に、祖母の妹であるおばあさんが住んでいるが、しょっちゅう喧嘩をして無視されてる。この間、わたしに、面と向かって「あなたのおばあちゃんは頭がおかしいからね」とハッキリと言われた。十分にわかっている。他人とは分かり合えないことの方が多いけれど、彼女は他人の気持ちを一切思いやることのできない人なのだ。

 

 

中学時代、不登校になったとき、祖母はわたしに五千円札を握らせた後で、「これで学校に行ってくれ」とサラッと言ったので泣き散らかした。その場で五千円札をビリビリに破ってしまいたかったが、金だけは冷静に財布にしまった。その行為が更に自分を傷つけた。

彼女にとってわたしは五千円の価値しかない。それでなんとかメンツを保とうとしている彼女に心の底から絶望した。

その時からわたしは、「嗚呼、このひときちがいなんだな」と納得し始めていた。祖母をコントロールして、まともにしてあげたいとか、“普通”の認知を教えてあげたいとか、そんなことはもう諦めた。

 

ただ同じ家に住んでいるけれど、もう、極力自分が不快な気分にならないように、(彼女のすべてをネタにして)暮らしていけたらなと思う。

正直、実家に帰ってきてから、全力で彼女の死を願っていたこともあったけど、わたしが罪悪感を卒業してから、彼女の攻撃は効かなくなった。彼女は死ぬまで罪悪感を抱えながら、地獄のように生きてくのかもしれない。でも、わたしはただの観察者として、それを見守ろうと思う。

 

 

 

 

わたし氏、ババアになることを恐れる

最近、“自画像”と“現実の自分”が噛み合っていないことに気づいてきたの。

自分の母親を見てるとわかるんだけど、60歳なのに自分のことを少女だと思っている節がある。「わたしは誰も傷つけない、優しくて善良な少女です」って思ってる。

 

母の自画像:

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現実の母:

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でも、そんなわけない。

驚くことにわたしは27歳まで、その母の自画像を信じ切っていた。母は優しくていい母親なんだと思っていた。メンヘラでも、必死で子育てをしていた。

わたしは母と一度も、ガチの喧嘩をしたことがない。不満を言うと防衛本能が働くのか、泣くから。

「わたしはこんなにがんばっているのに…」とか言って。母はいい子の仮面を死守してきた。たぶん死ぬまでずっとそう。

だから、母の自画像に洗脳されているわたしは、「そんな優しくてがんばっている母に不満を持つ自分は最低の人間なんだ」とずっと思ってきた。

母への憎しみと同じ分だけ、自分を嫌悪した。自分が嫌いで、友だちのことも、誰も好きになれなかった。

 

 

母は、自分が実際にやっていることと、頭でしているつもりになっていることに、めちゃくちゃ大きなズレがある。

そういう人って大概イタい。どうしようもなくイタい。

イタいだけならネタ的に面白いかもしれないけど、そんな人が親だったら子供の性格歪む。

わたしも14歳〜16歳ぐらいまで、自分を「二重にすれば堀北真希」と思って生活してた。

普段の自分は仮の姿だと自分に言い聞かせていた。

22歳〜24歳までは、ほぼ吉高由里子だと思って生活をしていた。

いま、客観的に見て、ほんとうに、目が2つ、鼻が1つ、口が1つあること以外は何の共通点もない。わたし、どした?

 

 

 話を戻すけど、わたしの母親は、ババアのなりそこないだ。

自分のこと、やさしい少女って思ってる。でも、本当はババア。

しかも、自分のことババアって自覚ないから余計に、性格のひん曲ったいやらしい老婆みたいな時がある。

あのさ、まどか☆マギカって、魔法少女が魔女になるじゃない。

ワイのソウルジェムももう濁りきって、もう魔女(ババア)になる寸前なんだけど。

というか、女性は、たぶんいつかのタイミングで、少女からババアにならざるを得ない時が来るのだと思う。

 

それは、脱皮というか、「世界に愛されるいい子のわたし」から、「ああ、もうわたし、世界なんていうあやふやなものに自分を差し出してまで愛される必要なんかないんだ。わたしでいいんだ、わたしがわたしを愛せばいいんだ」って悟る時期なのだ。

それは、言ったらまあ、父親との愛着関係を終わらせる時期だと思う。

 

 

この間、音楽番組でベッキーを見たの。

10皮ぐらいむけた、自立したかっこいいババアになっていた。

以前、金スマで、隠しカメラで休憩中のベッキーの様子を写した映像があって、ものすごく機嫌悪そうに、「クソだり~~~~」って感じで歩いていて、それが、普段の「ベッキーだよ~」からすごいギャップがあって、でもわたしもその「クソだり~~~」を持っている側の人間だったからすごくリアルで、親近感が湧いたことがある。

 

「いつも笑顔でいなきゃいけない」

「振りまかなきゃいけない」

そうやって不機嫌な自分を閉じ込めていることへの反動なんだなと思った。

ゲス不倫の騒動のあと、なんで戻ってこれたのかみたいな意地悪な質問に対して、「どれだけ世間からバッシングされても、周りの大事な人が、手を離さないでいてくれたから」って言っていた。

はじめて、自分を商品としてじゃなく、人間として大事に扱ってくれる人の愛に触れたのね、って思った。

それから、自立して、かっこいいババアになったのだ。

 

「わたし何もできないの~」って守ってもらう立場のまま、恋人にお父さんを求めて生きるか、

(でも大体「守る」ってことは保護下に置くってことだから、恋人にはコントロールされるし、そうなったら共依存になっちゃうな)

それとも、「アッ!!わたしもう大丈夫だ、1人の人間として生きていける!!」って思って自立して、それから恋人と対等な関係を築けるかは、本人次第だと思う。

 

わたしは今まで前者だったのだけれど、ずっと心が苦しかった。

違和感があったし、「このままじゃ本当にいやだ、生きてる意味ない」って思っていた。

いま、ちょうど開き直るとこまできたような気がするけど、ためらいもあるし、こわいけど、でもここまでこれてよかったなって思っている。

こうなったら、最強のババアになるぞ~!!

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ずっと貰い続けるか、与える側になるか。

親に与えられないまま育った(むしろこちらがありったけ与えてきたし、奪われてきた)ので、与えてくれる人を見つけようと必死になって生きてきた。血眼なぐらい。

それは、ものすごい飢餓感で、対象者に取りすがって相手の肩を揺さぶり、「わたしを愛して!わたしに与えて!わたしだけをみて!ちょうだいちょうだい、もっともっと!」というような全身全霊の渇望。

 

物心ついた時から、わたしは特にネットの人、遠くにいる人に対してこういう感情を抱くようになっていた。例えば前に、ゲーム実況してる人のことがめちゃめちゃ好きになって、ず~~~~っとその人の動画を見続けていたし、(体が「もう疲れたからやめてぇ><」と言ってるのになぜか止められない)24時間うっとりとその人のことを考え続け、脳がしびれたようになっていて、「結婚したい」「彼女になりたい」と思っていたけれど、はっきり言って、存在の一体化を望んでいた。

 

心の冷静な部分では、「アッ私なんかちょっと(頭)おかしいな…」とか、「結婚できねぇよwww常識的に考えて」とか、分かっているんだけど、ホントにホントにどうしようもなく苦しくて、依存症なんだろうけど、そんなことを頭で知識として知ったところでどうすることもできなかった。

ただ、わたしがストーカーにならなかったのは、体力がないからもあるけど、その時の自分が「きもちわるい」ことだけは分かっていて、なんかこう、自分から黒い靄のようなものが出ているというか、餓鬼(地獄に落とされた亡霊で、食べても食べても永遠にお腹が満たされない病にかかってる)に取り憑かれている感があるということを分かっていたからだ。

あと、相手に拒否されたらめちゃめちゃ傷つくから、こちらから働きかけるということを一切しなかった。現実では、ただ動画を見て脳内でうっとりとしていただけだ。でも、わたしには私がどうしようもなく気持ち悪かった。

 

 

ずっと、「アーティストとファンの関係って何?」と思っていた。それは、ミイラ取りがミイラになる、みたいなことで、表現者になる人はもう大多数がACで、機能不全家庭に生まれついてる。親に理解されなくて、理解されないどころか心を奪われて、これ以上取られないように、殻に籠ったまま、殻の中に引きこもってる。そこに、じかに光が届くことはなくて、世界の温かさに触れることはできない。だけど、唯一、同じ境遇みたいな表現者の言葉だけが届くんだよ。それを貪るの。もらえなかった親の愛情の代わりに。

 

でもね、これはもう際限がない。本当に、終わりがないの。対象が、表現者だって福山雅春だって(マンションに侵入したアクティブな人いたよねw)、youtuberだって、男性だって、同じ。自分が、いつまでもいつまでも赤ちゃんで、横になったまま、してもらう側であることを選択している限り、絶対に心の穴が塞がることはない。救われることがあったとしても。ひとは、自分で起き上がる気がない人のことを、無理やり起こして立たせて歩かせたりなんか、絶対にできない。

 

いいから、まず立て。座るのでもいいから。ミルク飲ませてもらおうとするの、やめろ。自分で歩いて取りに行けよ。それで、自分のためだけに、自分の中の赤ちゃんのためだけに行動する。(自分に言っています)

わたしが感動したアーティストだって、別にわたしのために作品を作ってるわけじゃなかった。彼らは自分の中の赤ん坊に対して作ってたんだよ、ずっと。本人が意識できるか否かは別として。

それを見て、美しいとか、綺麗だとか、最高とか、そういう感想を持つのは、それが自分の宝箱のなかにも眠っているからだ。「感動した」ということは、それと繋がったということ。自分のなかに同じものが存在してるということ。それを掘り起こす。信じる。

 

わたしは、常に赤ちゃんだったけど、人生の中で何回か与える側になったこともある。だから分かるのだけれど、与える方は、自分に群がる依存者の飢餓感にはめちゃめちゃ敏感だ。だってそれは低い次元での自分だったもんね。それを許してるか否かで対応が変わってくるけど、オタクは大概きもいよ。飢餓感を薄めて、洗練されたオタクになったらまともに対応してくれる気がする。(でも飢餓感薄まったら会いに行かないのかも)

でもさ、「こんなに金つぎ込んで握手会に行ってるのに二コリともしない」みたいな人は、超こわいなぁ。何もかも受容してくれる絶対的な母親を求めていて、しかもそれに無自覚ってことは、幼児性と同化しているってことでしょう。手を握ってる時、絶対、魂吸い取られそうになってんだろうなあ。

 

わたしは一回、めちゃめちゃハマってる時に握手会てきなものに行ったことがある。その時、その男性は、きもかっただろうに、めっちゃ爽やかに手を握ってくれて、「がんばってね」的なことを言ってくれた。いま思えば、本当に、尊い…。神なのかよ…。

わたしの、ずっとその人のこと考え続けてべったり依存してたこと、全然バレてないと思ってたけど、実はモロバレだったんだろうなぁ。。笑 分かっていてなお、笑顔で対応してくれたってどんだけなんだよ…。尊い。本当にありがとう…。心底幸せでいてほしい。。

 

これから、人にもらおうとするのを止めたい。完全に。自分の足でちゃんと歩きたい。私は私でしかなく、でも、父は父親ではなかったし、母も母親ではなかった。笑 私が父と母になるしかない。自分の。

徴兵令

むしゃくしゃしていた。親の財布からそっと小銭を抜く。小銭だからばれない。でも、最近金をせびることが多いから警戒してるかもしれない。この間、「なぜかお金がない、本当にない、ここ2カ月ぐらい、普段の生活費の2倍の料金がかかっている」と母親に泣きつかれた。うっせーなお前がパートに出ろや。もうその憐みに訴えかけてくる技は見切っているからな。人生を奪われとんねんぞこっちは。

 

バイクは妹が使っていたので、ものすごく久しぶりに自転車を漕いだら膝がプルプルした。生まれたての小鹿のようにスーパーで酒とつまみを買う。これは数日前から計画していたことで、最近、砂浜でレジャーシートをひいて寝転がるときが唯一、私の心が安心感で満たされるので、じゃあ昼間から酒を飲んで砂浜で横になったら一体どうなっちゃうの?wwwやべwwwそれは完全な悪でしょう旦那wwwニートなのにwwwと思ってすごいわくわくしていた。余計な思考がなくなって、全身がふわっふわになって、視界が青空で埋め尽くされて、背中越しには大地を感じられて……ああ、もう、そんなのほぼ地球とのセックスじゃん。完全に。

 

 

メンバーしょうか~い!ウェルチのグレープ!うずらの煮たまご!(チーたらもあるよ!)あと、男山!!爆笑

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これ、すごい辛口であんまり好きな味じゃなかった~。ここ1年ぐらいではじめて父親の日本酒もらってめっちゃおいしいやんか!ってなって、そんなに詳しくなくててきとうに少量紙パックのやつを買ってきたんだけど、甘口の方が合うんだなって思った。

 

んん~?なんか酔わないよー、なんだよーと思ってジュース飲みする。

そういえば、自分で日本酒買ったのははじめてだ。私は普段お酒飲まない。ペースが分からない。前は、あまいカクテル飲んだらすぐ酔ってふわーんってなっていた。ただ、なんかここ1年で少し体質が変わったのだ。慣れたような。気のせいなのか。お、おれは強くなったんだぜ!ってとこを見せたかった(自分に)。日本酒でいきたかった!!

 

2/3飲んだあたりで、頭がふわ~~んってなってきた!きた!きたぞ!!気温がもう少し高ければ最&高だったなーとすこし残念に思いながら、横になってゆるんだ瞼を閉じる。体がとろーんとなってきた。潮風が頬をなでていく。きもちいー。いま、なにも考えてなかったし、体のどこにも緊張がなくて、無駄な力がいっさい入っていない。体という硬い枠から、感覚だけが抜け出て、無限に大きく広がっていくような。

……アタシいま、地球とやってるわ~!!!あ~ん♡最高!!!

私の中のオカマの人格が高まっていた。私の女性性はほぼ死んでおり、イケメンのお兄さんを見た時とか、「やだ~♡きゃわい~ん♡」ってオカマが出てくる。何なんだ。どうしたらいいの。

 

そのまま横になって寝ていたら、1時間半経っていた。寝ているとかじゃなくて、「無」だった。はっとして起きてから、自分が寝ていたことに気がついた。気絶していたのかもしれない。笑 はじめての浜辺で日本酒は、まあまあきもちがよかった。

こんど、5月の、あのなんともいえない皮膚感覚の、絶妙なあたたかさとそよ風のバランスが奇跡のように成り立つ、新緑に祝福されたあの日!!!あの日に!今度は、日本酒とかにこだわらずに、いちばんいい感じでキメられるアルコールとともに!!(でも、アルコールなくてもいいかも)キマりてぇ~。地球とキマりてぇ~。。

 

 

 

 

 

 

おまけ;

2時間経過して、体の熱もひいて、

「えー?もう全然顔とかあかくないよなー?」と自撮りした写真がこちらです。

 

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イ、イキスギィwww

完全に事後です。ありがとうございました。

 

 

 

長い自己紹介てきなもの

夏谷まみ

1989年2月生まれ

 

機能不全家庭の長女。

極度の依存体質、社会不安症でくそメンヘラな母親と、

モラハラパワハラ・セクハラのハラスメント三冠王&パチンカス&マザコンの父親との共依存家庭にうまれる☆

同居の祖母はパーソナリティ障害で、気に入らないことがあるとひっくり返って手足をじたばたさせ泣いて暴れる☆

 

 

家庭全体がブラック企業

母親は依存心が強く、いつも暴君のような父親のいいなりで、父親や祖母の愚痴を私に言い、同情した私vs父親、私vs祖母のような関係を生んだ。でも、よーく見てみると、母は結局父からも祖母からも離れられず、面と向かって言いたいことを言えずヘラヘラし、娘の私をゲロ袋として利用しただけだった。

父親からは、子供として存在する権利を奪われながら育つ。お決まりの、「おれの言うことが気に入らねえなら出ていけ」。娘にはハラスメントを行うが、こちらが少しでも彼の気に入らない発言をすると機嫌を損ねる、威圧、空気を悪くして委縮させる。マッサージの強要。

そういえば、父親がトイレの床にまき散らかしたションベンを娘の私が拭いていた。今思うと屈辱すぎてハラワタが煮えくりかえる。

母親は視力が極端に弱いために床の汚れが見えないのだった。←そういえばずいぶんこのことで、小学生の時から介護してきた。こう言っちゃなんだけど、家族に精神障害や身体障害があった場合、その子供は無自覚にかなりの精神的負荷を負わされる傾向が強いように思う。しかも親はまったく寄りかかっている自覚もないし、逆切れ&発狂するので子供は感情のやり場がない。できることは、自分で自分の気持ちを受け止めることだけ。 

 

母は母親としてマイナス10000000点の女だった。しかし洗脳されていたために彼女のクズさがよくわからず、それでも抑圧された女性嫌悪がずっとあって、外での女性との関わり方が未だによく分からない。女性といるとすぐ母親になってくれることを無意識に期待してしまう。

 

両親とは、かなり理不尽で一方的な搾取の関係にあったが、愛されたいという依存心からそれに気付かず、18歳まで両親に心を捧げる。

中学で不登校を経験、うつ病になりメンヘラになる。

取り返そうとして普通の高校に進学するも、陰キャをこじらせて教室ではほとんどしゃべらない貝パルシェンと化す。チンパン系男子にちょっとおちょくられる。

 

 

「退学届を場に出し おれの人生を終了する!!!!」

大学進学のために家を出る。

文学部に進学するが、夏休みにこれまでの人生をかけて書いた小説が終わらず、11月になって大学にいくとすでに友だちの輪ができていてぼっちになる。

授業が苦痛になり大学を中退してフリーターになり、将来を悲観。

書いていた小説はすばる文学賞に応募したけど3次選考で終わる。人生も終わる。

発達障害グレーゾーン、社会不安で人が怖くてあまり仕事ができず、バイト先でおばちゃんから露骨に嫌われてめっちゃ悪口をいわれる。学生時代も何一ついいことがなかったのに、社会に出てもずっとそのままだった。絶望。

この頃の口癖は、「もう体を売るしかない」。

 

 

親代わりの恋人への反抗心

ネットで知り合った一回り年上の男性と同棲。今思えばほんとうに神のようなタイミングだった。私のエゴで、頭で考えて媚びて計算したわけではなくて、「急に人生の風向きが変わって運ばれる」という感じだった。

メーカー勤務のこの男性は何不自由ない暮らしをさせてくれたし、「世の中には外で働くのが苦手な人だっているよ、家にいてもいいよ」という、今思えば神さまみたいなことを言ってくれたのに、なぜか『ムッキ~~!!!女をバカにしてるの!?!?女は!!奴隷じゃねーんだよ!!!男女平等!!!!男女共同参画社会万歳!!!!!』と反抗心があり、当てつけのようにできもしないバイトをして勝手にストレスを溜めて八つ当たりする。

はげしい認知の歪み。今思えば完全なキ●ガイである。ACは、「味方になってくれるはずの家族が敵」という状態がデフォルトで生きてきたから、「世間の人は全員敵!!!!」と無意識に刷り込まれてしまっているんだって…だから、優しい人のことも敵だと思ってしまうんだって…(遠い目)自分探しイズム より。とても参考になりました。

自分探しイズム1 (@sinrizm) | Twitter

 

 

本当は、自分の父親が嫌いだった。支配されて育った。それを意識できず、洗脳されたまま、1人暮らしになったばかりの時、「育ててくれてありがとう」なんてラリった手紙を送ったりしたほどだった。(つーか日本の、「産んでくれて/育ててくれてありがとう」って親に感謝しなければならない同調圧力感は一体何なの?マジで勘弁してほしいね!)

無意識には親に対する憎しみがずっとあって、それを庇護者である恋人にぶつけていたのだった。今なら分かるのだけど、彼は完全に「お父さん」だった。恋人とか、対等なパートナーではなかった。そして、他人なのに無償の愛をくれた。体調の波があって、ひどい時はほとんど家事もできずにネットばかりしていたのに。

共依存で喧嘩ばかりしていた。新宿で喧嘩になって壮絶なDISラップバトルになってギャラリーができたこともあった。だけど、とってもとっても感謝している。幸せになってほしい、これは本当に。心の底から。

 

 

なんやかんやで今に至る。

恋人にいい感じの女性ができる。彼は私みたいな産廃と結婚をしたがっていたが、本当にこの人でいいのか、なぜか心が苦しかったので7年も待たせていたのだった。(そら逃げるわ)無意識にずっと父親とのいびつな愛着関係があったからなのだが、その時はもやもやを説明することができなかった。彼が家に帰ってこなくなって、「ついにこの時が来たな」と思った。「その人のところに行っていいよ」と言ってはみたものの、家族より家族になっていた彼を失うのは意味が分からないほど辛かった。依存心だけれど。

家を出るのに数か月猶予をもらい、住み込みのバイトをしたり禅寺(みたいなところ)に入ったりする。彼を忘れるため、これから1人で生きていくために入った禅寺だったが男性依存のため、そこにいた男の子に惚れて追いかけまわし、完全に頭がお花畑になってしまう。(めっちゃ避けられていたw)そこにいた和尚的な人に、「あなたは男性を不幸にするから、あと2年ぐらい男性に近づくな」と謎の2年禁欲を言い渡される。

 

2017年、まさに清水の舞台から飛び降りるような気持ちで地獄の実家に戻ってくる。そして、これまで“まとも”だと思っていた家族のあり方を改めて観察する。全員がどうしようもない幼児性を引きずったままの大人であること、自分がどれだけ心を封印して生きてきたかを知る。たまに元恋人を思い出して泣く。心の居場所のないこの家において、元恋人と過ごした時間だけが心の安全基地だった。「2年経ったら…もう一度恋人と会いたい…あわよくば…ワンチャン…」などと依存心丸出しでたくらんでいたが、私の後に付き合った人と結婚しました☆との報告をこの間頂き、完全に終了する。この時に、「おめでとう、さようなら」をやっと言えた。返信するのに1週間かかった。気持ちもずいぶん清算されてきたように思う。

このぐらいでしょうか。